スイス移住と死去
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 06:35 UTC 版)
「オットー・フランク」の記事における「スイス移住と死去」の解説
1949年にオットーはオランダ国籍を取得していたが、1952年には母と姉がいるスイスのバーゼルへ移住した。 1953年11月10日にエルフリーデ・ガイリンガー(英語版)”フィリッツィ”と再婚した。このエルフリーデはオーストリアから逃れフランク家に近いメルヴェデプレイン46番で暮らしていたユダヤ人で娘のエファ(ドイツ語版、英語版)はアンネと同い年で知り合いだった。ガイリンガー家は1944年5月に密告されてアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に送られ、夫と息子は解放寸前にマウトハウゼン強制収容所への「死の行進」を命じられ落命していた。彼女自身は解放後に生き残った娘とアムステルダムへの帰路に就いたが、ある駅で停まったとき、娘がオットーを見つけて「たったいまアンネ・フランクのお父さんを見かけたわ」と告げてきたのがきっかけでオットーと知り合い、マルセイユまでの帰路を同行した関係だった。アムステルダムへ帰国した後に再会し、関係が深まっていた。1954年2月にエルフリーデもバーゼルへ移住した。 1962年にエルフリーデとともにバーゼル郊外のビルスフェルデン(ドイツ語版)に引越した。 1980年8月19日に死去した。1963年にオットーがスイスの法律に基づいてエルフリーデと共同で創設した公共財団「アンネ・フランク基金」(在バーゼル)がオットーの包括相続人となっており、『アンネの日記』に関する権利を相続した。アンネの日記のaテキスト(手帳、ノート)とbテキスト(ばらの用紙)はオランダ政府に遺贈されている。マルゴーとアンネは未婚で子供を残しておらず、再婚相手エルフリーデとの間にも子供はいない為、直系の子孫はいない。但し、エルフリーデの連れ子で義理の娘エファには3人の子供(1男2女)がおり、子供たちはオットーの血の繋がらない義理の孫、マルゴー・アンネ姉妹の義理の甥姪にあたる。
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