ジレンマに陥いる「華国鋒主席体制」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 05:37 UTC 版)
「二つのすべて」の記事における「ジレンマに陥いる「華国鋒主席体制」」の解説
8月中旬に招集された中共第11回全国大会でも、華は文化大革命の継続すなわち毛路線の継承を唱えた。しかし同時に、「革命と建設の新たな段階に入った」として、「四つの近代化」建設を掲げた。1978年2月に開かれた第5期全人代第1回会議でも、華は改めて「四つの近代化」を唱え、「国民経済発展10カ年計画要綱」が採択された。これは1985年までに農業生産を年平均4から5パーセント増、工業生産を10パーセント増とし、鉄鋼基地、石油基地、石炭基地の建設など120の大型プロジェクトを計画し、さらにそれらを先進的な外国技術や外資の積極的な導入によって実現しようとする野心的な経済建設構想であった。 しかし、華はやがて文革路線の継承と「四つの近代化」建設を同時に掲げることのジレンマ、政治重視か経済重視かというジレンマに陥ることになる。文革路線の継承に対しては、反「四人組」キャンペーンと「四人組」裁判とが進展したこと、また党幹部や大衆の文化大革命からの名誉回復が続くことにより、やがて「文化大革命の見直し」と「毛沢東評価」が迫られることになり、その批判の矢が、文革推進者の一人である華自身に及ぶことは確実であった。 鄧小平は、文革見直しと毛沢東評価については、これらが党内の深刻な政治闘争を引き起こしかねないことを察知して、これらの問題を棚上げした。その代わり、華の経済政策に対する批判を前面に押し出した。 華の野心的な経済建設計画は、もともと少ない外資が底をつき、あっという間に行き詰った。しかも中国経済の現実に立脚していなかったため、外国の先進技術の効率的な利用もままならず、大量の経済浪費を引き起こした。鄧小平、陳雲らは華の経済政策を「大躍進」の失敗をもじって、「洋躍進」と批判した。また、1979年から中越戦争が勃発しており、国民経済に多大な負担を強いた。にもかかわらず、さしたる成果も上げることはなかったため、ここでも最高意思決定者たる華が矢面に立たされた。
※この「ジレンマに陥いる「華国鋒主席体制」」の解説は、「二つのすべて」の解説の一部です。
「ジレンマに陥いる「華国鋒主席体制」」を含む「二つのすべて」の記事については、「二つのすべて」の概要を参照ください。
- ジレンマに陥いる「華国鋒主席体制」のページへのリンク