ジャーナリストとしてのキャリアの始まり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 04:33 UTC 版)
「ジェイコブ・リース」の記事における「ジャーナリストとしてのキャリアの始まり」の解説
リースはロングアイランドの新聞社の編集者募集の広告に気付いて応募すると、地方記事担当の編集者に選任された。しかし彼はすぐに、なぜこの仕事が空いていたのかを悟った。なぜなら編集長が不誠実で負債を抱えていたのだった。彼は2週間後に新聞社を去った。しかしこれ以降、彼のキャリアは新聞関係の仕事に固まっていった。 再び失業した彼は、マンハッタンのファイブ・ポインツ地区に戻った。ある日クーパー・ユニオンの外に彼が座っていると、彼がかつて電報を学んだこの学校の校長がたまたま彼に気づいた。校長はもし他に何もすることがないのであれば、ニューヨーク・ニュース・アソシエーション(New York News Association)が研修生を探していると彼に伝えた。一晩が経ち、急いで飼葉桶で体を洗った後、彼はインタビューへと向かった。だらしのない身なりであったにも関わらず、彼は課題審査へと送られ、アスター・ハウス(Astor House)での昼食会の様子を観察し報告した。リースはそこでの出来事を完璧に伝えたので、職を得ることができた。 リースは豊かな人々についても、貧しい移民のコミュニティについてもどちらも書くことができた。仕事は順調にゆき、彼は週刊紙『ザ・ニュース(the News)』の編集者に昇進した。しかしながらこの政治団体の定期刊行物であった新聞はしばらくして破産した。同時に、リースは兄と叔母、そしてエリザベスの婚約者が死んだことを伝える手紙を故郷から受け取った。リースはエリザベスにプロポーズの手紙を書き、また75ドルの貯蓄と約束手形で『ザ・ニュース』紙を買収した。 リースは自分の新聞社で必死に働き、すぐに負債を払った。新たに独立したので、彼はかつて自身の雇い主だった政治家を標的にすることができた。その間、彼はエリザベスから仮の婚約受諾の知らせを受け取っていたが、彼女はリースに「ともに全ての高尚で良いことのために努力しましょう」と言って、デンマークに来るよう頼んだ。都合の良いことに、政治家たちはリースの新聞社を、リースが買い取ったときに払った金額の5倍の値段で買い戻そうと申し出たので、彼はたくさんの資金を持ってデンマークに辿り着くことができた。 デンマークで数ヶ月過ごしたのち、新婚夫婦はニューヨークに到着した。リースはしばらくの間ブルックリン南部の新聞、『ザ・ブルックリン・ニュース(the Brooklyn News)』で編集者として働いた。また収入を補うため、彼はブルックリンでの宣伝に幻灯機と呼ばれるプロジェクターを使い、二本の木の間に張った布か、もしくは窓の後ろのスクリーンに投影した。この目新しさは成功し、リースとその友達は巡業広告主としてアップステート・ニューヨークやペンシルベニアへと移転した。しかしながら、この事業は二人がストライキ中の鉄道職員と警察官の間での武力闘争に巻き込まれると終わり、リースはすぐにまたニューヨーク市へと戻った。
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