ジャーナリストから学界へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/26 05:01 UTC 版)
「ロバート・E・パーク」の記事における「ジャーナリストから学界へ」の解説
社会問題、特に都市における人種問題へ関心をもっていたパークは、大学卒業後にシカゴで新聞記者になった。1887年から1898年にかけて、ジャーナリストとして米国各地で働いた。 その後、1898年 - 1899年にハーバード大学で心理学と哲学を学び、ここでも優れたプラグマティズムの哲学者ウィリアム・ジェームズの教えを受け、修士号(MA)を取得した。その後、パークはドイツへ渡り、1899年から1903年にかけて、ベルリン、ストラスブルク(現在のフランス領ストラスブール)、ハイデルベルクで学んだ。1899年から1900年にはベルリンでゲオルク・ジンメルに師事し、1900年には1学期をストラスブルクで過ごし、1903年にはハイデルベルクで哲学の博士号を取得した。博士論文の主査は哲学者ヴィルヘルム・ヴィンデルバントと地理学者アルフレート・ヘットナーで、論文の標題は「Masse und Publikum. Eine methodologische und soziologische Untersuchung(大衆と公衆:方法論的、社会学的検討)」であった。
※この「ジャーナリストから学界へ」の解説は、「ロバート・E・パーク」の解説の一部です。
「ジャーナリストから学界へ」を含む「ロバート・E・パーク」の記事については、「ロバート・E・パーク」の概要を参照ください。
- ジャーナリストから学界へのページへのリンク