ジダニ・モスト_-_シェンティイ線とは? わかりやすく解説

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ジダニ・モスト - シェンティイ線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/28 04:56 UTC 版)

ジダニ・モスト - シェンティリ線
基本情報
スロベニア
起点 ジダニ・モストスロベニア語版
終点 シェンティリ
路線記号 30
開業 1846年6月2日
全通 1849年8月18日
運営者 スロベニア鉄道
路線諸元
路線距離 108.4 km
軌間 1,435 mm
線路数 単線、複線
複線区間 国境 - マリボル区間は除く
電化方式 直流 3,000 V
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1841年に作成されたオーストリア南部鉄道の路線図

ジダニ・モスト - シェンティリ線 (スロベニア語: Železniška proga Zidani Most - Šentilj) はスロベニア共和国ジダニ・モストスロベニア語版とシェンティリを結ぶ路線である。シェンティリ駅スロベニア語版からオーストリアとの国境を越えるとシュピールフェルト・シュトラス駅ドイツ語版があり、ウィーン方面に直通する。汎ヨーロッパ回廊の10号線A支線(グラーツ - マリボル - ザグレブ)の一部を形成する。

停車場・施設・接続路線
南部線、Rb線
612.5 シュピールフェルト=シュトラース
610.4 オーストリア / スロベニア
610.1 旧シェンティイ・メヤ
エディギトンネル(235 m)
608.0 シェンティイ
道路437号
604.1 ツィルクニツァ
道路437号
600.3 ペスニツァ
ペスニツァ川
自動車道A1
道路430号
ヒットロトンネル(665 m)
595.6 コシャキ
594.0 マリボル
ドラーヴァ川
マリボル - ホルメツ線
マリボル三角線
道路1号
591.3 マリボル・テズノ
道路430号
586.9 ホーチェ
自動車道A1
自動車道A4
583.8 オレホヴァ・ヴァス
581.7 ラーチェ
道路2号
プラゲルスコ三角線
576.3 プラゲルスコ・ラーヴェ
オロモジュ、ブダペスト方面
575.2 プラゲルスコ
Laźnica
568.8 スローヴェンスカ=ビストリツァ
561.2 ポルチャーネ 262 m
ドラヴィニャ川
リポグラフトンネル(238 m)
552.8 ドルガ=ゴーラ
550.0 オストロジュノ
545.8 ポニクヴァ・トヴォルナ
545.3 ポニクヴァ
道路107号
ストライク
541.1 グロベルノ
537.6 シェンテュル・プリ・ツェリュー
531.8 シュトーレ
フディニャ川
ラーヴァント谷線
526.9 シェリェ
ヴォグラニャ川
サーヴィニャ川
516.6 ラシュコ
サーヴィニャ川
509.6 リムスケ=トプリツェ
サーヴィニャ川
ジダニ・モスト - ザグレブ線(ザグレブ方面)
502.0 ジダニ・モスト
南部鉄道(リュブリャナ方面)

歴史

オーストリア帝国時代の1846年6月2日にウィーン・グロッグニッツ鉄道会社(ドイツ語: Wien-Gloggnitzer Eisenbahn Gesellschaft)によって建設されたオーストリア南部鉄道の一部としてグラーツ - シェンティリ - ツェリェ間が開業したのが始まりである。1843年7月にグラーツ - ツィリ(現在ツェリェ)間の鉄道建設が許可されて、二つの路線経路の中、現在の経路が採択された。当時に鉄道の所有権は南部帝国鉄道(k.k. südliche Staatsbahn)にあり、ウィーン・グロッグニッツ鉄道会社は運営を担当した[1]。1849年8月18日にはツェリェ - ジダニ・モストスロベニア語版 - ライバッハ(現在リュブリャナ)間が開業した[2]。その区間の工事は1848年革命の影響で遅延されていた[3]。1854年ゼメリング区間の開通で、ウィーンとライバッハの間に列車運行が可能となった。

1917年7月10日プラーガーホーフ駅(現在プラゲルスコ駅)で貨車に積載された機雷が爆発する事故が発生した。その爆発は並んでいた線路では軍人輸送列車と装甲列車に影響して、装甲車の爆薬ピクリン酸も爆発した。この事故で43人が死亡し75人が負傷を負って、駅区内の8線複線線路は420 m長さで破壊された[4]

第一次世界大戦後、スロベニアはユーゴスラビア王国の一部となり、シェンティリ駅がユーゴスラビアとオーストリアとの国境駅となった。終戦直後には「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国鉄道」(Železnice Kraljevine Saba, Hrvata i Slovenaca (SHS))が国境線 - ジダニモスト区間を引き受けて、1929年にはユーゴスラビア国営鉄道 (Jugoslovenske Državne Železnice, JDŽ) に改称された。

1941年4月にナチス・ドイツユーゴスラビア侵攻によりニーダーシュタイアーマルク民政地域帝国大管区に併合された。その結果、スロベニア区間はドイツ国営鉄道(Deutsche Reichbahn, DR)の路線網に編入された。1944年当時にこの路線は現在の南部鉄道ジダニ・モスト - リュブリャナ区間とともに同じ路線番号で統合された[5]

第二次世界大戦後にこの路線はJDŽに復帰した。1954年以降 、JDŽの名称は「ユーゴスラビア鉄道」(Jugoslovenske železnice)に変更された。社会主義路線を取るユーゴスラビア連邦人民共和国の成立と冷戦の影響でオーストリアとイタリアを結ぶ列車は主にタルヴィージオ経由の路線を使用するようになった。1991年からスロベニア鉄道がこの路線を運営している。

全線が電化されており、複線化工事も進められてきたものの、(ヴェルンドルフ - )国境 - マリボル間は単線となっている。

運行形態

リュブリャナとウィーンを結ぶ国際列車が当線を経由するほか、国内列車も設定されている。

  • IC: ブダペスト - ジェール - ソンバトヘイ - セントゴットハールト - グラーツ - マリボル - チェリエ - ジダニ・モスト - リュブリャナ。
  • EC: ウィーン - ウィーナー・ノイシュタット - ブルック(ムル)- グラーツ - シュピールフェルト=シュトラース - マリボル - プラゲルスコ - チェリエ - ラシュコ - ザグレブ/トリエステ。1日2往復。
  • EN: ブラティスラバ - ウィーン - グラーツ - マリボル - チェリエ - ザグレブ - スプリット。

参考文献

脚注

  1. ^ H. Strach (1898), Band 1.1, pp. 246~248
  2. ^ Herzogthum Krain. Die Geburtsfeier Seiner Majestät Franz Joseph I. (Schluß.). In: Laibacher Zeitung, Nr. 101/1849, 23. August 1849, S. 1, unten links. – Volltext online (PDF)
  3. ^ H. Strach (1898), Band 1.1, p. 252
  4. ^ Ludwig von Stockert (1920) (ドイツ語). Eisenbahnunfälle (Neue Folge). Ein weiterer Beitrag zur Eisenbahn Betriebslehre: Nr. 307. Wien: Urban 
  5. ^ (ドイツ語) Deutsches Kursbuch: Jahresfahrplan 1944/1945 - Teil 5 (KBS 401 - 463). Berlin: Deutsche Reichbahn. (1944). pp. 99–102. https://pkjs.de/bahn/Kursbuch1944/Teil5/Teil5-wien.html  - 路線番号: 453

関連項目


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