ジズヤの貢納儀礼
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ジズヤについては税金の多寡がズィンミーの経済的負担に直結したのは無論だが、その納税の仕方にもズィンミーに屈辱を与える様々な仕組みがほどこされた。例えば、ジズヤの納税は、地方の有力者のもとに納税者が直接届けにいくことが多いが、その際に、公衆の面前で暴力を振るわれることが少なくなかった。これは「異教徒はイスラム教徒よりも下である」という、一種のデモンストレーションであった。暴力だけでなく、体に「不信仰の輩」と焼印を押されることさえもあった。このようなデモンストレーションについては、何人ものムスリムの学者たちが記している。 ジズヤの徴収者は椅子に座り、不信仰者は立ち続ける……彼の頭はたれ、背中は曲がる。徴収者がそのあごひげを持ち、両方の頬を平手打ちにする間に、不信仰者は金銭を秤の上に乗せなくてはならない。 — アル・ナワーウィ ユダヤ教徒、キリスト教徒、そしてマギ教徒はジズヤを支払わなければならない……ジズヤを差し出すにあたっては、役人がそのあごひげをつかみ、耳の下の出っ張った骨を打つ間に、そのズィンミーは頭を垂れていなくてはならない(たとえば、下顎……)。 — ガザーリー これ(ジズヤの手渡し)に続き、アミールはズィンミーの首を彼のこぶしで打つ。ズィンミーを早急に追い払うために、アミールの近くに1人男が控える。そして、二番目と三番目のズィンミーがやって来て、同じような扱いを受け、すべてのズィンミーがそうなる。すべてのムスリムはこの見世物を楽しむことを許されている。 — アフマド・アル・ダールディー・アル・アダーウィー 貢納の日には、彼らズィンミーは公の場に集められなければならない・・・彼らはそこにたちつづけ、最も卑しく汚い場所で待ち続けなければならない。法を体現する現場の役人たちは彼らズィンミーの上に立ち、威圧的な態度をとらなくてはならない。そうすれば、彼らズィンミーや、他の人々に、われわれの目的は、彼らズィンミーの財産をとることを装って、彼らをさげすむことだと見せつけることになる。彼らは以下のことを悟るであろう、即ちジズヤを彼らから取り立てるに当たり、われわれは彼らに善行を行っているのであり、彼らを自由にさせているのだと。それから彼らはジズヤを納めるために一人ずつ連行されていかねばならない。貢納に当たっては、ズィンミーは殴られ、脇に投げられる。そして、彼はこれで彼は剣を逃れたと考えるようになる。 力は神とその使徒、そして信仰者たちに属するがゆえに、これこそ、主の友、最初と最後の世代の友が彼らの不信仰の敵を扱う方法である。 — ムハンマド・アブドゥルカリーム・マギリー ジズヤの徴収に当たってのズィンミーのとるべき姿勢– イブン・アッバースによれば、手で歩くことによりいやいや身を低める。 — タバリー ただし貢納の際のこのような侮辱的な儀礼に対して異を唱えた学者もいる。課税に関する古典的な論文を書いたアブー・ウバイドは、ジズヤの課税がズィンミーの経済的能力を超えたり、ズィンミーの負担となるようなことはあるべきではないと考えた。カリフ、ハールーン・アッラシードの主席判事であった法学者のアブー・ユースフは、ジズヤの徴収の方法に関する次のような判決を下した。 ジズヤの支払いに当たって、ズィンマの民の誰一人として、殴られてはならない。また暑い日差しの中立たされたり、彼らの体に忌むべき行為がなされたしてもならない。それだけでなく、それに類するあらゆる行為がなされてはならない。そのような扱いでなく、彼らは寛大さをもって扱われなければならない。 このような意見が唱えられたのは、上述の通り、イスラム政権にとってジズヤがむしろ税収源として重要になった事が背景にある。 サウジアラビアでど現代登録した銀行口座からの引き落とすなど他の、と同じように徴収され事務的にている。
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