シャラーダの事例(憑依現象による真性異言)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 20:33 UTC 版)
「真性異言」の記事における「シャラーダの事例(憑依現象による真性異言)」の解説
1973年にインドで発生した事例で、マラーティー語を母語とする女性ウッタラ・フッダル(Uttara Huddar)がトランス状態になって登場した女性人格。シャラーダ(Sharada)はウッタラの母語であるマラーティー語は話さず、ベンガル語を流暢に話した。イェンセンやグレートヒェンは催眠中に登場した人格であるが、シャラーダは覚醒中に突然出現した(憑依現象)。スティーヴンソンが現地に赴きこの事例について調査を始めたのは1975年のことだが、調査に区切りをつけた1980年にもまだシャラーダの出現は続いていた。 シャラーダは両親や親族の名前、自分に馴染みのある土地の名前など自分についてかなりのことを語り、またその多くは実在したが、シャラーダが生まれ育ったと考えられる家系を正確に突き止めることはできなかった。言語だけでなく、その立ち振る舞い、習慣など全てベンガル風で、明らかにマラータ族のウッタラとは異なっていた。たとえば、ウッタラより頻繁に食を断つ(断食する)、椅子にではなく床に坐る、夫の名前を聞かれた時に顔を赤らめる、ほとんどの時間を一人でベンガル語の宗教書などを読んで暮らす、など、ウッタラには見られない少し古風なベンガル女性の特徴を見せた。また、シャラーダの両親をはじめマラーティー語を話す人達に囲まれながら、マラーティー語を話そうとはせず、マラーティー語を粗野な言語だと軽蔑しているようであった。 シャラーダ人格が出現している時にはウッタラとしての人格は見られなくなり、ウッタラとしての人格が現れている時にはシャラーダ人格は登場しなかった。シャラーダが出現する時にはまるでウッタラの人格がどこかに押しやられ、シャラーダに乗っ取られるような感じであった。ウッタラに戻った時にはシャラーダとしての記憶はなく、シャラーダにはウッタラの記憶はなかった。 しかし、スティーヴンソンがシャラーダの音声記録をベンガル語を母語とする話者に聴かせたところ、その喋りが流暢かどうかでは意見が分かれた。実は、ウッタラの故郷は人口比1%のベンガル語母語話者が住む街で、父娘共々ベンガル語には長らく深い関心があった。また、ウッタラはベンガル文学を翻訳書で読んだ事があり、ベンガル語の読み方教室にも通っていた事があった。
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