サンチェスの死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 04:47 UTC 版)
「オマイラ・サンチェス」の記事における「サンチェスの死」の解説
非常に困難な状況の下で、サンチェスの救助活動は60時間にもわたって続けられた。足と腰を瓦礫に挟まれ、泥水に浸かったままの状態で、サンチェスは冷静さを失わなかった。サンチェスはボランティアで救助活動に参加していたジャーナリストのヘルマン・サンタマリア・バラガンのインタビューを受けた。救助隊員は歌が好きなサンチェスのために歌を歌いながら作業を続けた。サンチェスは甘い食べ物を求め、ソーダを飲んだ。時々、彼女は怖がって泣いたり、祈ったりした。災害から3日目の夜、サンチェスは「学校に遅刻したくない」と言って幻覚を起こし始め、数学の試験について語った。サンチェスの目は赤くなり、彼女の顔は腫れ、手は白くなった。サンチェスは死を覚悟したのか、救助隊員に現場から離れるよう懇願した。「おじさんたちも疲れたでしょう。少し休んでちょうだい」。水位を下げるためのポンプが現場に到着した時、サンチェスはほとんど死にかけていた。彼女の足は、ひざまずいているかのようにコンクリートの下で曲がっており、彼女の足を切断せずに彼女を解放することは不可能であった。切断手術を行うための医療器材が不足していたため、救出活動に参加した医師たちはサンチェスを安楽死させる方がより人道的であるとの結論に達した。サンチェスは11月16日の午前10時5分ごろ、壊疽または低体温症により死亡した。 サンチェスの兄は災害を生き延びた。彼女の父と叔母は亡くなり、ボゴタにいて難を逃れた彼女の母親は語った。「それは恐ろしいことですが、私たちは生きることを考えなければなりません...私は指を失っただけの息子のために生きます。」 サンチェスの死はコロンビアのみならず世界中に衝撃を与えた。3日間に及んだ救助活動の一部始終はマスメディアによって全世界に報道された。コロンビア政府はサンチェスの死に対し、国民に3日間の服喪を呼び掛けた。 ボランティアの救助隊員はシャベル、切削道具、担架などの基本的な装備が不足しており、ラジオは全国放送で必要な物資の提供を呼び掛けていた。長年にわたる内戦のためコロンビアは国情が不安定であり、コロンビア政府は反政府ゲリラとの戦闘に追われていた。不十分な消防体制がサンチェスを死なせたのだ、という批判に対して、コロンビアの国防大臣ミゲル・ウリベは「コロンビアは、そのような装備を備えていない」「未開発国だ」と述べた。
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