ゴールドラッシュと商業ワインの先駆者たち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/26 19:03 UTC 版)
「カリフォルニアワイン」の記事における「ゴールドラッシュと商業ワインの先駆者たち」の解説
1848年以降のカリフォルニア・ゴールドラッシュによってこの地域には入植者が殺到し、人口と地元でのワインの需要が増加した。ソノマ郡やナパ郡などがある北カリフォルニアは一面にブドウ畑が広がり、ワイン生産者は各地のブドウ栽培者から購入したブドウをワインに醸造して販売した。 フランス人移民のジャン=ルイ・ヴィーニュがミッション種よりも優れた品種をヨーロッパから持ち込んだ。ヨーロッパからの移民の中にはブドウ栽培やワイン生産の経験者も数多く混じっており、ゴールドラッシュを皮切りにしてカリフォルニアのワイン産業が花開いたが、当時のワインは大部分が粗悪品だった。1859年にはナパ・ワインの父的存在のサミュエル・ブラナンがナパに12万5000本の苗木を植え、この町の鉱泉にも興味を持ったブラナンはカリフォルニア初の億万長者となった。 1857年に「カリフォルニアワインの父」アゴストン・ハラジーによってソノマ郡に設立されたブエナ・ビスタ・ワイナリー(英語版)は、カリフォルニアで初めて商業的なワイン生産を行った。ハンガリー人移民のハラジーはカリフォルニアぶどう栽培委員会議長となり、1861年にはカリフォルニア州のジョン・ダウニー知事がハラジーにヨーロッパ視察を命じ、ハラジーはマスカット種やジンファンデル種を含むヨーロッパ系品種300種10万本をカリフォルニアに取り寄せたとされる。ハラジーはブドウ栽培やワイン醸造に関する書籍も執筆し、多くのワイン生産者に影響を与えた。 1859年にはイギリス人移民のジョン・パチェットがナパ郡に初の商業的なワイナリーを設立している。パチェットのブドウ畑とワインセラーは今日のナパ市域に位置していた。この時期には、ブエナ・ビスタ・ワイナリー、ガンロック・バンシュー、イングルヌック・ワイナリー、マーカム・ヴィンヤーズ、シュラムズバーグ・ヴィンヤーズなど、カリフォルニアでも古いワイナリーが何件も設立されている。 ワイナリーの建設、ブドウ畑での植え付けや収穫、地下セラーの掘削など、この時期のカリフォルニアでのワイン産業の発展には中国人移民が重要な役割を果たしている。醸造責任者(ワインメーカー)などの高い地位に就いた中国系移民もいたが、アメリカ人熟練労働者に有利になるよう中国人移民コミュニティに深刻な影響を与えた1882年の中国人排斥法の制定によって、1890年まで中国人移民の大部分はワイン産業から排除された。カリフォルニアではミッション種が支配的な種であったが、19世紀後半にはヨーロッパ系品種が支配的となった。1880年代から1890年代には最初の黄金時代を築いた。
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