ゴールド・スタンダード
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「コンバイン・ペインティング」の記事における「ゴールド・スタンダード」の解説
1964年にラウシェンバーグは、カニンガム・ダンス・カンパニーのメンバーとしてマース・カニンガムやジョン・ケージらと来日した。ラウシェンバーグはカンパニーの美術監督を務めており、ヴェネツィア・ビエンナーレの受賞後でもあり世界的な芸術家として東京で歓迎を受けた。11月28日には草月ホールで「ボブ・ラウシェンバーグへの20の質問」というイベントが開催され、ラウシェンバーグは公開制作を行った。イベントは美術評論家の東野芳明の企画であり、公開質問会という体裁だったが、ラウシェンバーグは質問には答えず制作に集中した。この時に制作されたのが、コンバイン作品『ゴールド・スタンダード』(1964年)となった。 東野が企画した公開質問会には、ラウシェンバーグは興味を抱かなかった。芸術家の勅使河原蒼風が料亭でラウシェンバーグらを接待した際に、日本には客人が返礼に書画を描く伝統があると話した。ラウシェンバーグはそれに興味を持ち、勅使河原が金屏風を渡すと、それを使って公開制作をすることになったという。ラウシェンバーグは作品の素材を求めて秋山邦晴の協力を得て廃物を集めたが、当時は東京オリンピックの影響で街は美化運動が続いており、廃物が集めにくかった。 質問会のために来た観客は、当日はラウシェンバーグが一切質問に答えずに制作する光景を目の当たりにした。ラウシェンバーグは助手のアレックス・ヘイと制作にかかり、金屏風から黒枠を取り除いてから素材をつけた。素材は東京で見つけた廃物であり、途中で差し出された質問状もラウシェンバーグは素材として貼り付けた。 金屏風の左には、手袋、SONYのダンボール、標識、ラベルなどを貼り付けた上に白い絵の具が描かれている。右にゆくと絵の具はない代わりに、電球やビクターの犬のマスコットによって白が置かれて配色のバランスをとっている。それぞれの扇の中で、伝統的な素材と原体的な素材が組み合わされており、「伝統と技術が同居する日本」というイメージが表現されている。制作には4時間あまりかかったため、完成までに観客はほとんど途中で帰った。制作の素材は前述の事情によって不足していたために途中で使い切ってしまい、金屏風の右二扇にはそのままの部分もあった。作品名についてラウシェンバーグは、(1) ゴールドである、 (2) スタンドしている、 (3) これ自身がスタンダード(標準)だと思うから、と説明している。
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