ゴルフと最後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 03:48 UTC 版)
ゴルフが趣味で、新聞社や放送局、電通の幹部社員にゴルフボールを配り、クラブを紹介した。ゴルフの普及、発展に寄与したということでは屈指の人であった。1960年(昭和35年)には、戸塚カントリー倶楽部の初代理事長も務めている。社長在任中に贈ったゴルフセットは、三千組とも四千組ともいわれている。 酒を飲まず、食べ物に無頓着であった。コーヒー党で、ヘビースモーカーだった。 医者嫌いの反面、新薬が発売されると何でも購入し、用量を無視して服用した。 1962年(昭和37年)、ニューヨークへの出張から帰って2ヶ月ほどすると、吉田は連日胃の痛みを訴えるようになる。それでも病院には行かず、浴びるように市販の錠剤を服用した。 箱根カントリー倶楽部でゴルフをプレーしていた吉田は、かつてない激痛に襲われる。かかりつけの医師の勧告により6月25日、東大木本外科に入院し、同月29日に胃の切開手術が行われた。胃癌だったが、この事実は長男宏にしか知らされず、吉田には胃潰瘍と告げられた。 退院後、一時は半ラウンドとはいえゴルフを楽しめるまで回復したが、11月13日に再度入院。悪化する病状を食い止めることはできなかった。 1963年(昭和38年)1月10日、3度目の入院。1月24日に帰宅し、その3日後、1月27日午前零時55分、吉田は永眠した。 従四位・勲二等瑞宝章を追贈された。 没後の1965年(昭和40年)、電通と吉田邸からの出資で財団法人(現・公益財団法人)吉田秀雄記念事業財団が創設された。事務所は銀座の電通銀座ビル4階に置かれている。
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