コックリルとロスチャイルド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 18:46 UTC 版)
「ベルギー国立銀行」の記事における「コックリルとロスチャイルド」の解説
「普仏戦争におけるベルギー」も参照 ベルギーがまだネーデルラント連合王国に属していた時代、1822年にソシエテ・ジェネラル・ド・ベルギーという総合商社が立ち上がった。ここではベルギー総合会社(オランダ語版、英語版)と呼ぶ。ウィレム1世が発起人であり、彼とその家族が株式の大部分を保有した。この会社は旧教会領や工業会社のデベロッパーとして大掛かりな抵当貸付を営む一方、政府銀行家として国債を発行したり、中央銀行として発券したり貯蓄銀行の資金を預かったりした。 1835年、対抗馬となるベルギー銀行をチャールズという男がつくった。ベルギー銀行はジョン・コックリルと組んで、ベルギー総合会社とロスチャイルドが1832年から計画してきたパリ=ブリュッセル鉄道の利権を奪った。1838年の金融危機に、ベルギー総合会社は250万フランの即時手形(2-3日以内)をベルギー銀行へ突きつけて、このライバルを潰そうとした。もっとも、1830-40年代にベルギー総合会社はしばしばロスチャイルド家と国債引受を共同した。1840-48年の間にベルギー総合会社は国王の持株を買収した。1848年革命でベルギー総合会社とベルギー銀行がともにデフォルトしてしまった。国家経済を立て直すべく、ベルギーは双方の銀行券を法定通貨として認めた。すなわち、1851年にベルギー国立銀行が両行の発券権能と国庫金出納を吸収して開業に至ったのである。このときベルギー総合会社は国立銀行株を1万株取得した。 元法務大臣のフランソワ・ド・オシー卿が初代総裁となった。副総裁は元議員のLouis Deswert (1795-1864)が務めた。理事には、銀行家のジョナサン・ラファエル・ビショフサイム、元議員のEugène Prévinaire、L. Doucet、J. Matthieu、そして F. Vander Elst が就任した。およそ20年間、理事会は異動がなかった。設立したばかりは優先すべき事項に追い立てられていたが、およそ片付くと支店を全国展開し割引事務所もつくった。1882年、財務大臣のシャルル・グロが世界展開を打診した。1900年にも、ヘント生まれの総理大臣ポール・ド・スメ(フランス語版、英語版)から同様の意見が提出された。後に国立銀行はそれら建議を破棄したが、大不況をすぎて1908年にベルギー領コンゴでの現金預け払いを営むようになった。
※この「コックリルとロスチャイルド」の解説は、「ベルギー国立銀行」の解説の一部です。
「コックリルとロスチャイルド」を含む「ベルギー国立銀行」の記事については、「ベルギー国立銀行」の概要を参照ください。
- コックリルとロスチャイルドのページへのリンク