グイード・オルン=ダルトゥーロ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 07:01 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動グイード・オルン=ダルトゥーロ(Guido Horn-d'Arturo, 1879年2月13日 - 1967年)は、イタリアの天文学者。金星や水星の太陽面通過の観測時に見られるブラック・ドロップ効果の研究などで知られる。
当時オーストリア=ハンガリー帝国領であったトリエステで生まれ、ウィーン大学で天文学を学んだ。トリエステ(1904年 - 1907年)、カターニア(1907年 - 1910年)、トリノ、ローマ大学の各天文台で働いた後、第一次世界大戦ではイタリア軍に志願し、その時に自ら姓にイタリア風のダルトゥーロ(「アークトゥルスの」の意味もある)を加えた。1920年からボローニャ大学の天文学の教授となった。ユダヤ系であったので1938年の人種法により教授職を追われたが、1945年に復帰した。
ボローニャのサン・ヴィットーレ天文台で発見された小惑星 (3744) オルン・ダルトゥーロは、ダルトゥーロに因んで命名された[1]。
関連項目
脚注
- ^ “(3744) Horn-d'Arturo = 1966 VQ = 1979 YF8 = 1983 VE”. MPC. 2021年8月28日閲覧。
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グイード・オルン=ダルトゥーロ
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「集合鏡望遠鏡」の記事における「グイード・オルン=ダルトゥーロ」の解説
イタリアのボローニャ天文台長だったグイード・オルン=ダルトゥーロは、1932年にたくさんの小さい球面鏡を合成して一枚の大きな放物面鏡として使うことを計画した。実験は第二次世界大戦で中断したが1948年頃から再開し、1953年に完成した。 対角線20cmの正六角形の球面鏡を61枚組み合わせて大きな金属円盤の上に載せ、それぞれの背面につけた3組の調整ネジで光軸を合わせる構造とし、全体の直径は1.80m、焦点距離10.41mとした。球面鏡の中心に描いた十字線の実物と実像を監視する人、鏡の裏面のネジを調整する人がチームを組み、61枚すべての光軸合わせをわずか45分で終わらせたという。主鏡は水平に置き、わずかの範囲だけ写真乾板を移動することで星像を追尾、幅1度3分の天空を観測できる天頂望遠鏡である。露出時間は最大6分30秒で、18.5等級までの撮影が可能であった。写真乾板は9×12cm(大陸手札)判であった。 これで1954年にいくつか長周期変光星を発見、はくちょう座V758について変光曲線を発表した。 天頂付近しか観測できないが、研究が始まった当時は赤道直下のソマリアまでイタリア領であり、ダルトゥーロは安価な望遠鏡を世界各地に置くことで広い範囲の星空をカバーできると考えていたようであるという。
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