クラブチームの再興期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 14:13 UTC 版)
「クラブチーム (社会人野球)」の記事における「クラブチームの再興期」の解説
バブル経済の破綻を受け、経済が縮小傾向にあった1994年に社会人野球界に衝撃が走る。都市対抗野球大会出場34回、優勝2回、そして1992年の第63回都市対抗野球大会でも準優勝していた熊谷組が野球部の解散を発表したのである。それまでも全国大会になかなか出られないチームの廃部や同一企業内で複数のチームを持っている場合の整理・統合が行われていたことはあったが、いわゆる名門企業チームがバブル破綻によるリストラの一環として企業スポーツの整理に乗り出したことは、社会人野球界に大きな打撃を与えた。 実際、この発表から堰を切ったように各地の企業チームが休部・廃部を発表していく。1993年(平成5年)には148チームあった企業チームは2002年(平成14年)にはついに100チームを切り、98チームにまで減っていった。それまで企業チーム中心で諸大会を運営していた日本野球連盟も危機感を持ったのか、これ以上企業チームの劇的増加が見込めない中、新規クラブチームの結成や既存クラブチームへの参加を積極的に呼びかけるようになる。また、それまでずっと関東地方で開催してきた全日本クラブ選手権大会も、関東地方とそれ以外の地方との隔年開催を実施するようになった。 その中、2003年に、メジャーリーガーで社会人野球出身である野茂英雄が自らの出身チームである新日本製鐵堺が休部中であり、かつ社会人野球界全体が地盤沈下を起こしているのを憂慮し、運営資金の大半を捻出し、大阪府堺市にクラブチーム(「NOMOベースボールクラブ」)を立ち上げた。また、2004年シーズンオフにはコメディアンの萩本欽一が茨城県桜川村(現:稲敷市)に「茨城ゴールデンゴールズ」を立ち上げることを発表すると、各地に元プロ野球選手や野球愛好家の芸能人・著名人が出資者・総監督・監督・選手となってクラブチームの結成が相次いだ。その結果、2006年(平成18年)には、日本野球連盟加盟358チーム中クラブチームは約77%の275チームにまで増えてきた。 クラブチームの激増を受けて、日本野球連盟は全日本クラブ野球選手権大会に出場することも困難になってきたことから、2006年にクラブチームの新しい大会であるナショナルクラブベースボールシリーズを立ち上げ、なるべく多くのクラブチームが大きな大会に参加できる機会を増やそうとしている。 また、単にクラブチームは量だけ増えてきたのみならず、2005年の第76回都市対抗野球大会には実質活動2年目のNOMOベースボールクラブが、2007年の第78回都市対抗野球大会には活動2年目の岩手21赤べこ野球軍団がそれぞれ初出場を果たし、2009年の第36回社会人野球日本選手権大会では大和高田クラブが企業チームを連破してベスト8入りを遂げた。クラブチーム界のレベルアップも目覚ましいものがある。 このように、一度は社会人野球界の表舞台から無視されていたクラブチームであるが、最近はクラブチームが地域発展と相まって、社会人野球発展の一翼を担っているといってもよい。
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