クラブチームにおけるキャリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/09 07:03 UTC 版)
「ガリー・マカリスター」の記事における「クラブチームにおけるキャリア」の解説
クラブチームでは1985年に加入したレスター・シティを経て、1990年にリーズ・ユナイテッドへ移籍金100万ポンドで移籍した。リーズでは背番号10番を背負い、主将として1992年のリーグ優勝を果し、後の1990年代末期に旋風を起こすことになるリーズの土台造りに貢献する。リーズ在籍中のマカリスターは監督とチームの間に立って意見を交換したり、チャリティ活動やスポンサーとの打ち合わせなど、ピッチ外での活動を組織化する仕事も積極的にこなし、これらの働きが一層彼のリーダーシップの陶冶に繋がっていった。 1996年には幾つかの強豪クラブの誘いを断り、コヴェントリー・シティに、当時このクラブの監督を務めていたリーズ時代の盟友ゴードン・ストラカンの誘いに応える形で移籍した。マカリスターが小クラブ・コヴェントリーに移籍したことは、彼が強豪クラブへ移籍することを確実視していた人々を驚かせた。マカリスターはコヴェントリーでも主将としてチームを牽引するが、ここではタイトルには恵まれなかった。 2000年のリヴァプールFCへの移籍は、当時35歳という高齢での強豪クラブへの移籍ということで注目を浴びる。メディアやリヴァプールのファンは、年齢的にピークを越えて久しいと思われたマカリスター獲得を疑問視したが、マカリスターは要所で重要な働きを示し、2001年のFAカップ、リーグカップ、UEFAカップのカップ戦三冠獲得に大きく貢献した。とりわけUEFAカップ決勝では貴重な追加点となるPKを決め、延長にもつれたその試合で決勝点となるオウンゴールをフリーキックで演出し、その試合のマン・オブ・ザ・マッチに選ばれる。これらの大活躍は、入団当初マカリスターの能力を懐疑的に見ていた人々を大いに感服させた。 2002年にはコヴェントリー・シティに復帰する。シーズン中のチームの監督人事騒動に巻き込まれるような形でシーズン半ばからはプレイングマネージャーを務める。02‐03シーズン終了後に引退した。
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