クラパムおよびイズリントンへの延長、1890年 - 1901年
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「シティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道」の記事における「クラパムおよびイズリントンへの延長、1890年 - 1901年」の解説
一般営業を開始する少し前に、シティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道は北端のキング・ウィリアム・ストリート駅からイズリントンへ向けて新線を伸ばすための新たな法案を議会に提出する意向を明らかにした。キング・ウィリアム・ストリート駅は扱いづらい構造であったため、既存の路線に直接接続するのではなく、別の路線として延長し、間に歩行者用地下道を建設して乗り換えられるようにすることになっていた。この法案は既存の路線との接続ができないという理由で却下された。1891年11月に、シティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道はイズリントンまでの延長路線の改定案の詳細を発表した。会社はキング・ウィリアム・ストリート駅の欠点を認識して、開業からまた1年しか経っていなかったのであるが、この問題を抱えた北部の路線を迂回する新しいトンネルを建設することを計画した。 ボロ駅の近くで新しいトンネルが分岐し、ロンドン・ブリッジ駅で幹線鉄道との接続を行うために新しい駅を経由する。そこからロンドン橋の東側を通り、シティ・オブ・ロンドンを抜けて北へエンジェル(英語版)へ達する。合同委員会がいくつかの新しい地下鉄の提案を審査したために遅れたが、1893年シティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道法は1893年8月24日に女王裁可を得た。またこの法律では1893年のもう1本の法律、クラパムまでの南側の延長路線を建設する期限を延長することを認めるものも含んでいた。 承認された2か所の延長路線は、資金を調達し計画を最終確定するために遅れていた。1895年から1898年まで、承認期限を延長し新たな承認を得るための3本の追加法案が議会に提出された。 1895年 - 1890年の法律での延長承認の期限を延ばし、キング・ウィリアム・ストリート駅への新たなアプローチトンネルの建設を承認する。1895年シティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道として1895年4月14日に承認。 1896年 - 1893年の法律での延長承認の期限を延ばし、バンク駅の建設に変更する。1896年シティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道法として1896年8月14日に承認。 1898年 - 1896年の法律での延長承認の期限を延ばし、南方延長路線のクラパム・コモン駅に側線を追加し、新しく提案されていたシティ・アンド・ブリクストン鉄道(英語版)にキング・ウィリアム・ストリート駅とそこへ至るトンネルを売却する。1898年シティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道法として1898年5月23日に承認。 1895年の法律で承認された新しいトンネルにより、キング・ウィリアム・ストリート駅の構造を変えて、中央にプラットホームを設け両側に線路を配置した形にすることができるようになった。路線延長の資金を調達する間の一時的な処置としてこの改良がおこなわれた。最終的に資金調達が成功し、建設が進められると、北部延長区間の最初の区間が1900年2月25日に開業し、同時にキング・ウィリアム・ストリート駅は廃止となった。延長区間の駅は以下の通りである。 ロンドン・ブリッジ駅 バンク駅 ムーアゲート駅 また南方への延長は1900年6月3日に開業した。延長区間の駅は以下の通りである。 クラパム・ノース駅(英語版)(当初はクラパム・ロード駅) クラパム・コモン駅(英語版) 当初のストックウェル駅や改良後のキング・ウィリアム・ストリート駅のように、クラパム・ロード駅とクラパム・コモン駅は1つのトンネル内に建設され、中央にプラットホーム、両側に線路という配置とされた。 さらに北部延長路線の残りの区間の建設が続けられた。1900年シティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道法は1900年5月25日に承認され、エンジェル駅の駅部トンネルの直径を9.2メートルに拡大することを承認された。そして残りの延長区間は1901年11月17日に開通した。駅は以下の通りである。 オールド・ストリート駅 シティ・ロード駅(英語版)(1922年廃止) エンジェル駅
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