クディリ王国の官制と経済
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「クディリ王国」の記事における「クディリ王国の官制と経済」の解説
クディリ王国の官制は、王を補佐する三人のラクリャーン・マハマントリでこれは王子や姻族などの重要人物が就いた。その下にタンダ・ラクリャーン・リン・パキラキランと呼ばれる官僚集団がいて、ラクリャーンの称号を持つ世俗的な職務に就く者とサムグットと呼ばれる宗教的な職務に就く者に区分された。中国側の文献である『諸蕃志』には、ラクリャーン・マハマントリを副王と位置づけ、ラクリャーンの称号をもつ者を「落佶連」と表記し、サムグットを「司馬傑」と記載したようである。また『宋史』巻489には、官吏が300人以上いて、文書事務や財務を行ったこと、そしてその下に下級官吏が1000人近くいて、首都や灌漑の池、国庫や米庫などのインフラ管理や軍隊に関する事務を行って、指揮官クラスには、半年ごとに金十両、兵士たちにも半年ごとに金で給与が支給されたことが記載されている。また、1235年のジャヤバヤ(ジョヨボヨ)王のハンタンのプラサスティには、射手、槍持ち、斧持ち、象乗り、馬乗りなどの兵士の職務が刻まれているのを読むことができ、『諸蕃志』の記述とともにクディリには、常備軍があったことを示唆している。 クディリ王国の経済は、海外交易によるところが大きかった。『諸蕃志』には、ジャワの輸出品として、象牙、サイの角、真珠、龍脳、白檀などの香木、ウイキョウ、チョウジ、ニクズク、ヒッチョウカと呼ばれる胡椒の一種、クリスと呼ばれる短剣の一種、胡椒そのもの、硫黄、紅花、白オウム、刺繍糸、綿、綾布などがあったとされ、これらは、モルッカ諸島のチョウジやチモール島の白檀などクディリの属国だった地域が産地であったものが含まれている。中国の商船の目当ては胡椒であった。一方で中国からは、金や銀の皿や漆器、青磁、白磁などの什器類、染色や手工業生産に用いる辰砂、ミョウバン、硫化砒素などの薬品類が輸入された。また、独自貨幣をもってはいたものの、宋銭が大量に国内に持ち込まれたことで、クディリ国内の貨幣経済も発達させた。
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