クォーク模型とは? わかりやすく解説

クォークモデル

(クォーク模型 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/29 01:27 UTC 版)

図1: 擬スカラー中間子九重項。八重項のメンバーは緑、一重項は赤で示されている。八道説の名前はこの分類に由来している。

クォークモデル: quark model)は、クォークハドロンを分類する枠組みである。

概要

クォークモデルは、1950年代から1960年代に渡って発見された非常に多くのハドロンを系統立てて分類するために開発され、1960年代後半から現在までの実験によってその正しさが検証されている。これらの実験的証拠により、ハドロンは"基本粒子"ではなく、それを構成する"価クォーク"が基本粒子であると考えられている。クォークモデルは価クォーク単位でハドロンを分類する。価クォークとは、ハドロンの量子数の実体を担っているクォークおよび反クォークである。

これらの量子数はハドロンの種類を同定するためのラベルであり、二種類に分けることができる。一つは、ポアンカレ対称性を持つJPCである。ここで、JPおよびCはそれぞれ全角運動量パリティ対称性およびチャージ対称性である。二つ目は、アイソスピンストレンジネスおよびチャームなどのフレーバー量子数である。クォークモデルは八道説の分類法に従っている。(#中間子および#バリオン参照)

全てのクォークにはバリオン数13が割り当てられている。アップチャームおよびトップクォーク電荷+23を持ち、ダウンストレンジおよびボトムクォークは電荷−13を持つ。また、反クォークはクォークと反対の符号の量子数を持つ。クォークはスピン-12粒子、つまりフェルミ粒子である。

中間子は価クォーク-反クォークの対で構成されており、バリオン数は0となる。一方、バリオンは三つのクォークで構成されており、バリオン数は1となる。この記事の具体例では、アップ、ダウンおよびストレンジフレーバーのクォークモデル(これは近似的にSU(3)対称性を形成する)について議論する。フレーバーの数をさらに増やす一般化も存在する。

歴史

多数の粒子

1960年代から行われた一連の実験によりハドロンは数が多すぎて素粒子ではありえないことが明らかになってきたことで、ハドロンの分類法の開発は火急の問題となった。相次ぐ新粒子の発見は、ヴォルフガング・パウリをして、「このような事態を予期していたなら、私は植物学を専攻していただろう」と言わしめた。また、レオン・レーダーマンは「若者よ、もし私がこれらの粒子の名前を覚えることができるなら、私は植物学者であったということだ」と言ったとされる。このように理論物理学者を悩ませたこれらの実験技術開発の先端にいた実験素粒子物理学者ルイ・アルヴァレにはノーベル物理学賞がもたらされた。

ヤン・フェルミ模型

クォークモデルに至るまでには、いくつかの初期の段階がある。これまで素粒子と考えられていた中間子が複合粒子であるとする考えが、1949年にエンリコ・フェルミ楊振寧によって提唱された。このヤン・フェルミ模型 では、中間子は核子陽子 p中性子 n)と反核子(反陽子 p と反中性子 n)から構成された複合粒子であるとした。これは、ハドロンの複合模型の端緒となった。(ただし、坂田昌一は1940年、二中間子論により2粒子による中間子複合モデルを提出している。)

坂田模型・IOO対称性

1955年、ストレンジネスに着目して、坂田昌一中性子n・陽子p・ラムダ粒子Λ を最も基本的な粒子とし他のハドロンはこの3つの素粒子とそれらの反粒子で組み立てられるという坂田模型を発表した。1959年、ストレンジネス中野・西島・ゲルマンの法則)、及び、3つの粒子は質量が近い(1±0.2Gev)ことから、3個の基本粒子 (p, n, Λ) の入れ替えで力学法則は変わらないという池田・大貫・小川対称性(IOO対称性、今日のSU(3) 対称性)を基に、大貫義郎らはSU(3)の群論モデルを創り上げた。これは、素粒子の分類に群論を用いた画期的な試みであった。また、このモデルの発展形である名古屋模型(1960年)および新名古屋模型(1962年)も発表された。現在の素粒子分類とほぼ同じ構造になっている。しかし、これらのモデルではハドロンのデータを厳密に再現できなかった。(ただし、1939年に発表された原子核の分類にSU(4)群を用いてノーベル賞を受賞したユージン・ウィグナーの論文[1]が物理学の一つの重要な達成と見なされていた[2]。 )

クォーク

今日の形のクォークモデルは、マレー・ゲルマンによって1964年に提唱された。また、同時期にユヴァル・ネーマンおよびジョージ・ツワイクもこのモデルを導いた。クォーク模型は、複合粒子を構成する基本粒子の電荷を分数にすること、およびそれらの基本粒子はまだ観測されていない粒子であると考えることによって完成した(坂田模型は、すでに観測されていた陽子、中性子およびラムダ粒子を基本粒子と考えていた)。スピン32Ω
 
粒子
は基底状態十重項のメンバーであり、モデルから存在が予想された。この粒子がブルックヘブン国立研究所における実験で発見されたとき、マレー・ゲルマンはこの業績によりノーベル賞を受賞した。

中間子

図2: スピン0の擬スカラー中間子は九重項を形成する。
図3: スピン1の中間子は九重項を形成する。

六つのフレーバーのうちバリオンを形成する三つのクォークを選んだ時、これらのクォークはフレーバーSU(3)3(三重項と呼ばれる)基本表現で表すことができる。また、それらの反クォークは複素共役表現 3 で表される。各クォーク対から構成される九つの状態(九重項)は、自明表現 1(一重項と呼ばれる)および随伴表現 8(八重項と呼ばれる)に分解することができる。この分解は次の数式で表すことができる:

図4. S = 12基底状態バリオン八重項
図5. S = 32バリオン十重項

クォークはフェルミ粒子なので、スピン統計定理によりバリオンの波動関数は二つのクォークの交換に対して非対称でなければならない。(粒子統計参照)この粒子の交換非対称な波動関数はカラーに対して完全に非対称かつフレーバー、スピンおよび空間に対して対称であるように合成することで得られる。三つのフレーバーの場合、フレーバーの分解は次のとおりである:


クォーク模型

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 13:59 UTC 版)

場の量子論」の記事における「クォーク模型」の解説

1964年マレー・ゲルマンユヴァル・ネーマンおよびジョージ・ツワイクにより独立にクォーク模型が見出された。この原型坂田昌一による坂田模型と、そのフレーバー変換群論形式記述する方法確立した大貫義郎らによるIOO理論SU(3)である。(これはクォーク模型の原型における対称性群論記述した最初事例であり、素粒子論群論を使う以後流れ決定づける量子力学での群論最初は、ヘルマン・ワイル1927年である。原子スペクトル対称性記述また、1939年ユージン・ウィグナー原子核SU(4) で記述する。しかしこれは素粒子論での使用ではなかった。これらは、素粒子基本構造に迫るものではなく素粒子研究注目浴びなかった。

※この「クォーク模型」の解説は、「場の量子論」の解説の一部です。
「クォーク模型」を含む「場の量子論」の記事については、「場の量子論」の概要を参照ください。

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