ギリシア時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:47 UTC 版)
詳細は「タウリカ」および「ボスポロス王国」を参照 タウリカ(ギリシア語: Ταυρίς, Ταυρίδα)は、古典古代におけるクリミア半島の呼称である。古代ギリシア人はタウロイ人からタウリカの地名を名づけた。タウロイはクリミア半島南部の山岳地帯にのみ居住しており、タウリカの名も当初は半島南部のみに使われたが、のちに半島全体の名称に拡大した。 ギリシア神話において、タウリカはミケーネの王女イピゲネイアの物語の舞台として登場する。父王アガメムノンによって女神アルテミスの生贄にされた王女は、これを憐れんだ女神によって救い出され、タウリカに送り込まれる:19。イピゲネイアはアルテミス神殿の神官となり、冷酷なタウリカのトアス王によって、捕らえられた外国人を生贄に捧げるよう命じられることになる。また別の歴史家の記述では、タウリカの民タウロイは野蛮な儀式と海賊行為で知られ、この半島のもっとも古い居住者である。タウロイの地とギリシア人殺しに関する説は、ヘロドトスの『歴史(ヒストリアイ)』にも記されている。 紀元前5世紀に、ギリシア人は黒海沿岸に植民を広げ始めた。その中からヘラクレアのドーリア人は今日のセヴァストポリ市に港湾都市ケルソネソスを、ミレトスのイオニア人はテオドシア(現在のフェオドシヤ)とパンティカパイオン(現在のケルチ)を建設した。 紀元前438年に、パンティカパイオンのアルコン(執政官)に就任した新植民者のスポルトコスがキンメリオス・ボスポロス(キンメリア海峡、現在のケルチ海峡)の王を称し、この王国はアテネと緊密な関係を結んで麦、蜂蜜その他の商品を供給した。スポルトコス王朝最後の王パイリサデス5世は、遊牧民スキタイの圧力を受け、紀元前114年にポントスの王ミトリダテス6世の庇護を求めた。ミトリダテスの王子ファルナケス2世は、ローマ共和国と父王との戦いでローマ側についたことにより、紀元前63年にローマのポンペイウスによってボスポロス王として承認された。紀元前15年にボスポロスは再びポントス王国の支配下に戻されたが、もはやローマの属州同然であった。
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