ギリシア文字から派生した文字
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 07:57 UTC 版)
「ギリシア文字」の記事における「ギリシア文字から派生した文字」の解説
ギリシア文字は母音と子音からなるアルファベットであり使用しやすいものであったことから、ヨーロッパ大陸やコーカサス地方を中心にかなりの民族によって模倣されたが、ギリシア文字をそのまま導入することは少なく、ほとんどの民族はギリシア文字を参考に自らの言語の特徴に合わせた新しい文字を考案することが常であった。 こうした派生文字の中で最も古いものはエトルリア文字などの古イタリア文字群であり、紀元前8世紀ごろにはエトルリア文字の使用が開始され、紀元前7世紀ごろには現代において最も使用されている文字であるラテン文字が成立した。同時期、小アジアにおいてもリュディア文字、カリア文字、リュキア文字などといった文字が西方ギリシア文字より考案された。アレクサンドロス大王の遠征によって中央アジアのバクトリアにギリシア人王朝が成立すると、同地方で話されるバクトリア語もギリシア文字で書かれるようになり、クシャーナ朝の公用語として広く使用された。バクトリア語におけるギリシア文字はほぼオリジナルと同じものだが、「ショー」と呼ばれる文字が加えられている。 紀元後に入ってもこの流れは続き、4世紀にはエジプトにおいてコプト文字がギリシア文字から派生し、同じく4世紀にはウルフィラによって、ギリシア文字から強く影響を受けたゴート文字が考案された。さらにこの時期カフカースにおいても、404年から406年にかけてメスロプ・マシュトツによりアルメニア文字が開発された。おそらく同じころにグルジア文字が発明されたと考えられているが、この文字の成立時期や成立過程は不明な点が多い。ただし文字の並びや、グルジア語には不要な文字がギリシア文字に対応するところに存在していることから、この文字がギリシア文字から考案されたことはほぼ確実視されている。この二つの文字は現代においても使用され続けている。 一方、860年ごろに正教会のキュリロスとメトディオスが、スラヴ諸語を表記するためにグラゴル文字を考案した。グラゴル文字は数百年間使用されたものの、900年ごろにやはりギリシア文字から考案されたキリル文字が有力になっていき、やがて正教会圏の諸国において広く使用されるようになっていった。このほか、かつてギリシア文字はアルーマニア語を表記するのにも使われていたが、現在はラテン文字を使うのが普通になっている。
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