ギリシア文化との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 00:09 UTC 版)
文芸復興初期においてはギリシアとイタリア等西欧諸国との関係は薄く、上述のようにアラビア語を介しての文化伝達に過ぎなかった。しかし、1397年に東ローマ帝国からギリシア語学者のマヌエル・クリュソロラスがフィレンツェに招聘されてギリシア語学校を開いてから、イタリアにおいてギリシア語学習が行われるようになった。東ローマ帝国に保管・継承されていたギリシア語の古典文献の読解が可能となり、ルネサンスの一助となった。 とくに1453年のコンスタンティノープル陥落による東ローマ帝国の滅亡によって、東ローマ帝国から優れた学者がイタリア半島に相次いで移住し、古典文献の研究は大きく進んだ。
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