ギリシア帝国、コンスタンティノープルの帝国とは? わかりやすく解説

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ギリシア帝国、コンスタンティノープルの帝国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 02:15 UTC 版)

東ローマ帝国」の記事における「ギリシア帝国、コンスタンティノープルの帝国」の解説

古代ローマ人々同地人々指してギリシア人」と呼んでおり、それは同地人々が「ローマ人」を自称するようになった6世紀以降にも変わりはなかった。カール大帝の戴冠によって西ローマ帝国ローマ皇帝復活して以降には、中世西欧一貫してビザンツを「ギリシア」と呼んだが、そこには「西欧こそが古代ローマ帝国継承者であり、コンスタンティノープル皇帝僭称者である」という主張込められていた。東ローマ帝国政治的宗教的に対立していた西欧諸国にとっては、カール大帝その後継者たちが「ローマ皇帝」だったのである13世紀パレオロゴス朝ルネサンス以降には、東ローマ帝国人々も自らを指して「Έλληνες, ヘレーネス, イリネス(ギリシア人)」と呼ぶようになっていった。また、東ローマ帝国ルーシ記録でも「グレキ(ギリシア)」と呼ばれており、東ローマ帝国継承者自称したロシア帝国においても東ローマ帝国ギリシア人帝国だと認識されていた。例え桂川甫周著書北槎聞略』において、蘭書魯西亜国誌』(Beschrijving van Russland ) の記述引用し、「ロシアは元々王爵の国であったが、ギリシアの帝爵を嗣いではじめて帝号を称した」と述べている。

※この「ギリシア帝国、コンスタンティノープルの帝国」の解説は、「東ローマ帝国」の解説の一部です。
「ギリシア帝国、コンスタンティノープルの帝国」を含む「東ローマ帝国」の記事については、「東ローマ帝国」の概要を参照ください。

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