キレナイカ地方東部を再奪還
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「エルヴィン・ロンメル」の記事における「キレナイカ地方東部を再奪還」の解説
ロンメルは将兵たちを激励して回り士気を高めつつ、部隊の再編成を進めた。1942年1月5日にはヒトラーから新年の贈り物として戦車55両と装甲車20両の増援を受けた。またロンメルのアフリカ装甲集団は南方戦域総司令官アルベルト・ケッセルリンク空軍元帥の指揮下に入ることとなった。 戦力をある程度回復したロンメルのアフリカ装甲集団は、1月20日夜から英軍に対する攻勢を開始した。当面はドイツ軍は反撃に出られないだろうと踏んでいた英軍は不意を突かれ、次々と敗走した。ドイツ軍は1月22日にはアジェダビア、1月25日にムススを奪還した。さらにロンメルはそこからメキリに攻撃すると見せかけて英軍を陽動しつつ、1月29日にベンガジを攻略した。英第8軍司令官リッチー中将は1941年3月から4月にかけてのロンメルのキレナイカへの攻勢の時と同様にメキリに攻撃をかけてくると思い、ここに英第1機甲師団の主力を置いていたので英軍はまんまと裏をかかれる形となった。1月30日にリッチーはキレナイカの英軍にガザラの防衛線まで撤退を命じた。ロンメルはただちに英軍を追撃し、2月6日までにキレナイカの大半の地域を取り戻した。しかしムッソリーニやカヴァッレーロ元帥らイタリア軍上層部は追撃に不同意でイタリア軍は追撃に協力しないと通達してきたので追撃は不十分に終わった。英軍はその合間にガザラに防衛線を固めてしまった。やむなくロンメルの装甲集団もトミミとメキリの線に防衛線を築き、機動防御の構えを取り、両軍はそこで睨み合って停止した。 ヒトラーはロンメルの功績に報い、1月20日付けでロンメルに騎士鉄十字章の柏葉・剣章を授与し(全軍で6番目)、ついで1月30日付けで上級大将に昇進させた。また2月21日付けでロンメルのアフリカ装甲集団はアフリカ装甲軍( Panzerarmee "Afrika")に昇格した。
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