キリスト教徒の解釈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/06 14:50 UTC 版)
「アスラン (ナルニア国ものがたり)」の記事における「キリスト教徒の解釈」の解説
詳細は「ナルニア国ものがたりにおける宗教」を参照 アスランはオリジナルキャラクターと読むことができるが、キリストとの類似点がある。作者によれば、アスランはキリストの寓話的肖像ではなく、むしろキリスト自身の想像上の化身である。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}アスランが実体のない神を現わしていたとすれば、アスランは寓話的人物だろう。しかし現実には、アスランは「もしナルニアのような世界が本当に存在し、キリストがその世界において我々の世界で実際に行ったように受肉し、死に、復活することを選んだとしたら、(キリストは)どのようにになるのだろうか?」という疑問への想像上の答えを与える発明である。これは全くアレゴリーではない。 この解釈はJ・R・R・トールキンの1947年のエッセイ『妖精物語について(英語版)』において詳しく述べられている「準創造(sub-creation)」の概念と関連している。これは、ルイスとトールキンがインクリングズで行なった議論を反映している。 最後の手紙の一編において、ルイスは以下のように書いている:「ナルニアはもの言う獣の世界であるため、私は彼(キリスト)がここでは人間になったのだから、そこではもの言う獣になるだろうと考えた。私は彼(キリスト)がそこではライオンになると描いた。なぜなら、 (a) ライオンは獣の王と考えられている、(b) キリストは聖書において「ユダの獅子」と呼ばれている、(c) 私はこの作品を書き始めた時に彼(キリスト)がライオンとなる奇妙な夢を見た、ためである。」 アスランの死と復活とイエスの死と復活との間の類似性が言及されている。ある著者は、イエスのように、アスランは死の前に嘲られ、悼まれ、そして亡骸が横たわった場所からいなくなったことが発見される、と述べている 。 『さいごの戦い』におけるカロールメン人へのアスランの言葉(「タシにつくすほんとの信心は、わたしに通ずるのだ(中略)タシにまことをちかって、そのちかいを守る者があれば、その者が知らないにせよ、その者がまことにちかったあいては、じつはわたしなのだ。またその者にむくいを与えるのも、このわたしだ。 」)は、偽りの神(タシ)に仕えたものであったとしてもカロールメン人が行った善行を承認している。これらの言葉は非明示的に包括主義を是認しているため論争の的になっている。
※この「キリスト教徒の解釈」の解説は、「アスラン (ナルニア国ものがたり)」の解説の一部です。
「キリスト教徒の解釈」を含む「アスラン (ナルニア国ものがたり)」の記事については、「アスラン (ナルニア国ものがたり)」の概要を参照ください。
- キリスト教徒の解釈のページへのリンク