カーター・ドクトリン
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「アメリカ合衆国大統領のドクトリン」の記事における「カーター・ドクトリン」の解説
詳細は「en:Carter Doctrine」を参照 カーター・ドクトリンはジミー・カーター大統領が1980年1月23日に彼の一般教書演説のなかで述べたもので、ペルシャ湾岸地域における国益を守るために必要な場合には、アメリカが軍事力を行使することも辞さないことを宣言したものである。ドクトリンはソ連のアフガニスタン侵攻に対する回答であり、冷戦期のアメリカの敵であり、ペルシャ湾で覇権を模索していたをソ連の牽制を目的としていた。カーターは、アフガニスタンのソビエト軍が「中東の石油の自由移動にとって重大な脅威」となる姿勢をみせていると述べた後、こう宣言した。 我々の立場を完全に明確にしよう、ペルシャ湾地域を管理下に置こうとする外部からの試みは、アメリカの死活的に重要な利害に対する攻撃とみなされ、そのような攻撃に対しては軍事力を含むすべて手段によって報復されるだろう。(演説全文) これはカーター・ドクトリンの重要な一節であるが、カーター大統領の国家安全保障問題担当大統領補佐官であったズビグニュー・ブレジンスキーによって書かれた。ブレジンスキーはトルーマン・ドクトリンに倣ってカーター・ドクトリンを形成し、「ソビエトはペルシャ湾に近づくべきではないことを明確に主張するために」、先の一節を演説に含めたと主張した。 「石油の世紀――支配者たちの興亡」の著者ダニエル・ヤーギンは、カーター・ドクトリンと1903年にイギリスのフィッツモーリス外務大臣がイギリスは「ペルシャ湾における他のいかなる大国による海軍基地または要塞化された港の建設しようとする試みも、イギリスの権益への重大な脅威とみなされ、我々は我々がそれを拒否する意思を表示するため、あらゆる手段をもって間違いなく抵抗するだろう」とロシアとドイツに対して警告したイギリスの宣言との「類似性」を指摘している。
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