アメリカ合衆国の動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 07:13 UTC 版)
「サイクロン作戦」の記事における「アメリカ合衆国の動向」の解説
1979年半ばまでにはアメリカ合衆国がムジャヒディンへの資金提供を開始。カーター政権下で国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めたズビグネフ・ブレジンスキーは、後に計画の目的を「ソビエトの軍事介入を誘発すること」と述べているが、ソビエトの侵攻は合衆国がソビエトの覇権主義を食い止められなかったために発生したことが後年明らかとなった。 エリック・アルターマンは『ネーション (雑誌)(英語版)』誌の中で、サイラス・ヴァンスの側近であるマーシャル・シュルマンが「当時は極秘計画を知らされていなかったと言っているものの、国務省がソビエトに侵攻を思い留まらせるべく粉骨砕身したのであり、決してそれを誘発するために計画を行ったのではない。ヴァンスは確かにゲイツの詳述を全て代表していたようには思えない」としている。 当時ソビエトが中東に足場を築くため、南方へと領土を広げようとしたと考えていた者が一部に存在。 こうした中カーター大統領は侵攻の後、いわゆる「カーター・ドクトリン」を発表。合衆国は他のいかなる外部勢力が、ペルシャ湾を支配下に置くことを許さないというものであった。またソ連懐柔策として、1980年1月には小麦の輸出を決定し、デタントを演出しようとした。穀物の輸出は農業従事者に利益をもたらしたものの、禁輸措置は合衆国の農場主にとっては苦難の始まりを意味することとなる。 一方でカーターは同年、合衆国のアスリートがモスクワオリンピックに参加することを禁じ、若年男性への徴兵登録を復活させるに至る。ソ連侵攻の後、合衆国はソ連の撤退に向け外交努力に努め、合衆国によるパキスタンでの難民計画への貢献は、アフガン難民を支援する上で重要な役割を果たした。
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