アメリカ合衆国の初期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/07 14:59 UTC 版)
「ウィリアム・ステイシー」の記事における「アメリカ合衆国の初期」の解説
ステイシーは、独立戦争が始まった時から活動的な革命推進者だった。ある証言では、レキシントン・コンコードの戦いが起きた日、すなわち独立戦争の開戦日とされる1775年4月19日に軍務に就いた。別の証言では、レキシントン・コンコードの戦いの報せが届いた4月20日に、植民地西部にあり自家のあるニューセイラムの村で、民兵隊結成の呼びかけをした。1956年にはニューセイラムのビレッジ・コモンにステイシーを記念する銘板が付けられた。この銘板に書かれている話は1841年の初期歴史に始まり、世代を渡って語り継がれたものであり、1904年に、ニューセイラム150周年祭委員会の出版物に纏められた。次のように書かれている。 “ 1775年4月20日、警鐘が鳴って市民をこの緑地に呼び寄せ、レキシントンでの戦闘のことを知らせた。一時の動揺が続いた後に、ステイシー中尉が前に出て、「仲間の兵士諸君、貴方達がどう考えているかは分からないが、私の場合、私の国の者達を殺す国王にもはや仕えようとは思わない」と語った。ステイシーは王室から得ていた将校の任命書を引き出してそれを粉々にちぎり、足で踏みつけた。野卑な歓声の中で愛国者の民兵1個中隊が結成され、勇敢なステイシーを隊長として、ケンブリッジまで行軍した。かような愛国主義が永遠に我々と共にあらんことを。 ” ニューセイラム200年祭委員会と町の歴史家は後に、この出来事はもっと早く、1774年の火薬警鐘のときに起きたことだったと考えた。火薬警鐘はレキシントン・コンコードの戦いの前触れとなった出来事だった。
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