カディス襲撃の成功で英雄に
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「ロバート・デヴァルー (第2代エセックス伯)」の記事における「カディス襲撃の成功で英雄に」の解説
自分の宮廷内での立場を有利にすべく、1595年12月から準備が開始されたカディスのスペイン艦隊攻撃の遠征艦隊の指揮官に志願し、認められた。 エセックス伯と第2代エフィンガムのハワード男爵(後の初代ノッティンガム伯爵)チャールズ・ハワードを指揮官とする遠征軍は、1596年6月にプリマス港から出撃し、カディスを襲撃した。この戦いでエセックス伯は陸上での戦闘を指揮し、イングランド軍を大勝に導いた(海上での戦闘はハワード男爵が指揮)。またこの戦いでエセックス伯は女子供に手をかけることや教会に火を放つことを禁じて騎士道精神を示したことも話題になった。 この戦いの勝利によってエセックス伯は国民的英雄となり、凱旋に際しては人々から歓喜の声で迎えられた。 しかし女王は不快に感じ、エセックス伯にカディス襲撃の戦記の出版を禁じている。その理由はいくつかあるが、まず女王は自分と並び立つ権威が現れるのを好まなかった。また略奪品による財政的恩恵が期待されたほどなく(エセックス伯が略奪品を独り占めしていると考えられた)、むしろ遠征の出費で財政が悪化していることに不満だった。さらにエセックス伯とハワード男爵がカディス襲撃に戦功ありとして64人も騎士に叙したことにも怒っていた。女王は騎士の叙任に慎重で生活にゆとりのない者を騎士にすることを嫌っていたのである。 だが、1596年12月28日には軍務伯に任じられて労をねぎらわれている。先立つ10月23日にハワード男爵がカディスの戦功でノッティンガム伯に昇叙されたことに対し格下になるエセックス伯が抗議(海軍卿(英語版)のハワード男爵が伯爵に昇叙すると、海軍卿より地位が下の主馬頭のエセックス伯が宮廷の地位も下がるため)、それに折れた女王が海軍卿より上の軍務伯に任じたためだった。
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