オーバーデュー作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 03:30 UTC 版)
「ニュージーランド航空901便エレバス山墜落事故」の記事における「オーバーデュー作戦」の解説
TE901便の捜索活動は「オーバーデュー作戦」(Operation Overdue) と名付けられた。事故機の遅れが分かった時点で捜索および救助活動の準備が始まった。残骸が発見された数時間後には専門家やボランティアの捜索隊が集められた。事故現場に近いマクマード基地やスコット基地では、観測や調査活動を全て中止して捜索や事故処理に加わった。 しかし、捜索活動は悪天候により難航した。空からはヘリコプターがホバリングするのが精一杯であったほか、地上からの接近も絶壁やクレバスに阻まれた。生存者の見込みがなくなったことで遺体をそのまま現地に残す可能性が検討されたものの、法的および宗教的観点から直ぐに捜索活動を進めるべきと決まった。 捜索隊の第1陣は事故調査委員やニュージーランド警察の救助隊で構成され、11月29日にクライストチャーチを出発して翌日に事故現場に到着した。生存者の可能性がなくなった捜索隊にとって最優先とされたのは、ブラックボックス(コックピットボイスレコーダーとフライトデータレコーダー)の回収だった。捜索開始後、数時間でそれぞれが発見されたものの、悪天候のためマクマード基地に届いたのは12月3日だった。現場調査は12月10日まで行われ、コックピットの計器パネルなども回収された。 12月2日に天候が好転したことで翌3日から遺体収容も本格化し、白夜を利用して徹夜で作業が進められた。事故現場はマクマード基地の近くであったため同基地のヘリコプター5台を総動員することができた。これにより回収可能な遺体と遺品を全て回収しきることができた。犠牲者の遺体は12月5日までにマクマード基地に仮安置され、翌6日の午前中にオークランド空軍基地に空輸された。遺体はすぐにオークランド大学医学部に移送され、同日午後から警察や病理学者ら専門家による検視と身元確認が始まった。身元確認作業を終えたのは1月30日だった。犠牲者のうち44人については、遺体の特定あるいは回収ができなかったと結論づけられた。 事故当時の南極基地は初夏に入って研究と補給のピークを迎えていた。そこに事故調査団と捜索隊が加わり定員60名のスコット基地には100名以上が滞在することとなり、ニュージーランド本国に臨時の追加食料を依頼せざるを得ないほどだった。事故処理に2週間以上を要し、マクマード基地でも観測や研究活動が滞ったことで、何もできずに南極を出ざるを得なくなったグループが何組かあった。
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