オーストラリアと太平洋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 02:49 UTC 版)
1860年代、オーストラリア、フィジー、ニューカレドニアおよびサモア諸島の入植者は労働力を補うために、「ブラックバーディング(英語版)」と呼ばれる長期間の年季奉公人貿易を奨励した。一番盛んなときには、島で働く成人男性の半分以上が年季奉公人であった。 19世紀中頃から20世紀初頭にかけての40年間以上、オーストラリアのクィーンズランド州のサトウキビ畑労働者は、強制徴募された者や年季奉公の者達であり、南洋諸島から62,000名が集められた。メラネシアの主にソロモン諸島やバヌアツからが多く、ポリネシアやミクロネシアのサモア、キリバスおよびツバルからも少数が集められた。 どのくらいの島人が誘拐されたかについては不詳であり、議論が残されている。島人達が合法の徴募、説得、詐欺あるいは強制のどの方法によって船でクィーンズランド州に連れて行かれたかという問題も回答が難しい。当時の公式文書や証言も、労働者の子孫に語り継がれた口伝とはしばしば一致しない。露骨に暴力的な誘拐という話は、貿易の初めの10年ないし15年の間のこととされている。 オーストラリアは、1901年の太平洋諸島労働者法の規定により1906年から1908年にかけてこれらの人々を生まれ故郷に送還した。 オーストラリアのパプアとニューギニアの植民地(第二次世界大戦後、パプアニューギニアとなった)は年季奉公人を使った世界でも最後の地区となった。 「カナック」および「カナカ族」も参照 オーストラリアと太平洋関連項目 強制労働
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