オペクタ商会の倉庫係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/13 14:35 UTC 版)
「ヴィレム・ファン・マーレン」の記事における「オペクタ商会の倉庫係」の解説
アンネ・フランクたちの隠れ家があるアムステルダム・プリンセンフラハト通り263番地にあるオペクタ商会の倉庫係ヨハン・フォスキュイル(隠れ家支援メンバーの一人ベップ・フォスキュイルの父)が癌を患って病欠するようになったため、1943年春に代わって倉庫係として雇われた。社員で隠れ家支援メンバーの一人であるミープ・ヒースによればファン・マーレンは「有能な倉庫係」であったという。 しかしやがて彼は隠れ家支援メンバー4人から懸念される人物となった。倉庫からの盗みが頻発したほか、彼が詮索好きなためだった。とりわけ夕方に帰宅する際に彼がささやかな罠(もし誰かが入って来てうっかり触れれば落ちるような場所に物を置くなど)を仕掛けていくことが彼への疑念を強めた。隠れ家支援メンバーには彼がユダヤ人が匿われていることを知っていてそれを確かめようとしているように見えた。 オットー・フランクが隠れている間、代わりに社長を務めていたヴィクトール・クーフレルは、ファン・マーレンについて次のように証言している。「我々は隠れ家が発見されるのを防ぐため、主屋の裏手のいくつかの窓ガラスを暗幕代わりと言う口実で青く塗りつぶしました。あるときファン・マーレンがその青ペンキの一部を爪ではがしている現場を見つけたのです。彼は『こりゃ驚いた。あそこにはまだ一度も行ったことがないぞ』と言いました。また別の時ですが、私に向かって『以前この会社にフランクさんとかいう人が働いてませんでした?』と聞いてきたこともあります。たぶん隣の会社でそんなことを聞きこんだのではないかと思います」と証言をしている。 1944年8月4日、ユダヤ人潜伏の密告電話を受けて出動したSD将校カール・ヨーゼフ・ジルバーバウアー親衛隊曹長率いる私服警官隊がプリンセンフラハト通り263番地に捜査に入り、アンネ・フランクら隠れ家のユダヤ人たちを全員逮捕した。また隠れ家支援メンバーのクーフレルとクレイマンも逮捕された。しかし女性従業員のミープとベップ、倉庫従業員のファン・マーレンは逮捕を免れた。ミープによればこの際にミープはジルバーバウアーの指示でファン・マーレンに会社の入口の鍵を渡したという。またファン・マーレンは自慢げにミープに「俺はSDと親しい関係にあるから、あんたは逮捕されることはないよ」と述べていたという。 それから2か月ほどファン・マーレンが会社の管理人然として会社を運営したというが、2カ月後にクレイマンが戻ってくると経営権はクレイマンに握られ、ファン・マーレンは元の倉庫係の地位に戻されたという。クレイマンの証言によるとクレイマンが「ユダヤ人が隠れていることを知っていたか」とファン・マーレンに尋ねた際に彼は「自分はただ怪しいと思っていただけだが、隣の事務所のスタッフの一人がそういう意味の話をしていたことがある」と答えたという。 倉庫の盗みが続いたため、オランダがドイツ軍から解放された直後ぐらいの頃にクレイマンはファン・マーレンを解雇している。
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