エンターテイメント、アートへの影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 16:12 UTC 版)
「プロジェクトFUKUSHIMA!」の記事における「エンターテイメント、アートへの影響」の解説
「東日本大震災のイベント等への影響」も参照 3月以降に発売予定だったCDタイトルは200以上が延期となり、一般ユーザーに限らずミュージシャンの中でも音楽を聴く気になれないという声があった。イベントも多数が中止された。福島県では、古民家の旧広瀬座を中心とする数千人規模のイベント「FOR座REST」が中止となり、大友は福島での初ライブが実現しなかった。和合は、詩のイベント「福島ニ交差点アリマス」を3月12日に予定していたが中止となった。当時の県内で放射線量が低かった岩瀬郡の岩瀬牧場では、4月17日に花見を兼ねたイベント「岩瀬牧場さくら祭」が開催され、遠藤が参加して野外ライブを行った。 のちにプロジェクトFUKUSHIMA!に協力するライブストリーミングスタジオのDOMMUNEは、震災当日は帰宅難民の避難所となった。番組のアーカイブをリクエストすれば視聴できると避難した人々に申し出たが、全員がニュースの視聴だけを希望した。広告が自粛となり、テレビの民放では公共広告機構(ACジャパン)のCMだけが流された。 社会的文脈を意識するアートを指して「3.11以降のアート」という表現も使われるようになった。震災や原発の人災をめぐる政治的なメッセージを含む作品も増え、竹内公太のパフォーマンス『指差し作業員』(2011年)や、開発好明の『政治家の家』(2012年)なども発表された。放射線については国外からも懸念され、影響は展覧会にも及んだ。2012年6月に福島県立美術館で開催された「ベン・シャーン展」では、画家ベン・シャーンの作品約500点のうちアメリカ合衆国の美術館7館が所蔵する約70点が展示拒否された。他方、あえて帰還困難区域での作品制作や展覧会を行う川久保ジョイやアーティストグループのChim↑Pomらの試みもあった。こうした震災後の状況下で、プロジェクトFUKUSHIMA!は最も早く始まった福島発の大規模アートプロジェクトだった。
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