エレファント島とジェイムズ・ケアード号
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/03 02:21 UTC 版)
「ハリー・マクニッシュ」の記事における「エレファント島とジェイムズ・ケアード号」の解説
エレファント島までの海上の旅でマクニッシュはシャクルトンやフランク・ワイルドと共にジェイムズ・ケアード号に乗船した。島に近づくと、24時間ぶっ通しで舵を握っていたワイルドが倒れそうになり、シャクルトンがマクニッシュにワイルドの代わりをするよう命令した。マクニッシュ自身も体調が良くはなかった。その恐ろしい状態にも拘わらず1時間半後には眠ってしまった。ボートが揺れて大波がマクニッシュをびしょ濡れにした。これで目を覚まさせるには十分だったが、シャクルトンはマクニッシュがあまりに疲れているのをみてとり、他の者との交代を命じた。 隊員全員がエレファント島に達した後、シャクルトンは小さな隊を編成してサウスジョージア島まで行くことにきめた。そこならば捕鯨船の乗組員を見つけて、隊員の残りを助けに来るのを手伝ってくれる可能性があると見ていた。マクニッシュはシャクルトンからジェイムズ・ケアード号を長い航海に耐えるよう改良することを要求され、かつその乗組員になるよう要求された。シャクルトンは、マクニッシュを他の隊員と共に後に残した場合に、その士気に与える悪影響を心配していた。マクニッシュにしてみれば、同行出来て幸福に思えた。マクニッシュはエレファント島をいいように思えず、そこで越冬する隊員に生き残れるチャンスが少ないように思えた。 この侘しい島で晴れる日が多いとは思えない。...ここで冬を過ごさなければならないとすれば、生存者が多いとは思えない。 マクニッシュはスタンコーム・ウィルズ号のマストを使って、ジェイムズ・ケアード号の竜骨を強化し、艇長22.5フィート (6.9 m) のボートを約800海里 (1,500 km) の航海に耐えられるように造り替えた。アザラシの血と小麦粉を混ぜて漏れ止めにし、包装ケースや橇の刃から木や釘を取り、間に合わせの枠構造を作ってその上を帆布で覆った。シャクルトンは「道中で起こる可能性の強い」現象にボートが耐えられるかを心配し、外観に付いては丈夫に見えるようになっただけだった。しかし後にはそれが無ければ隊員が生き残れなかったであろうことを認めた。ボートを進水させるときに、マクニッシュとジョン・ビンセントが甲板から海に投げ入れられた。水浸しだったが、どちらも無傷であり、ジェイムズ・ケアード号で出発する前に、エレファント島の隊員と衣服を何とか交換することができた。ボートの上の雰囲気は快活であり、マクニッシュは1916年4月24日の日記に次のように記していた。 我々は仲間にサヨナラを言った。サウスジョージア島まで助けを求めて870海里の旅に出た。我々は広い海でずぶ濡れだったが、全てがハッピーだった。 しかしその雰囲気は長く続かなかった。この旅の間の小さな船の上の状態は恐ろしいものであり、乗組員は常に濡れて寒かった。マクニッシュは、シャクルトンが苦境に耐える能力に感心していた。もっと若いビンセントが疲れと寒さで倒れていた。6人の隊員が2組に分かれて4時間ずつのウォッチを組んだ。3人がボートを操作している間に、他の3人は帆布の下に寝て睡眠を取ろうとした。マクニッシュはシャクルトンとクリーンと共にウォッチになった。全員が足の痛みを訴えており、エレファント島を出てから4日目に、マクニッシュが突然座って長靴を脱ぎ、脚と足が白くむくんでいるのを見せた。それは塹壕足炎の初期の兆候だった。シャクルトンはマクニッシュの足の状態を見て、全員に長靴を脱ぐよう命じた。
※この「エレファント島とジェイムズ・ケアード号」の解説は、「ハリー・マクニッシュ」の解説の一部です。
「エレファント島とジェイムズ・ケアード号」を含む「ハリー・マクニッシュ」の記事については、「ハリー・マクニッシュ」の概要を参照ください。
- エレファント島とジェイムズケアード号のページへのリンク