ウクライナへの亡命と追放・反政府運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 05:43 UTC 版)
「ミヘイル・サアカシュヴィリ」の記事における「ウクライナへの亡命と追放・反政府運動」の解説
2013年10月27日に執行された大統領選挙では、ダヴィト・バクラゼ前国会議長を擁立したが親露派のギオルギ・マルグベラシビリ前第1副首相に敗れた。11月17日をもって大統領を退任。 2013年12月には、ウクライナで発生した大規模反政府デモに連帯表明するために姿を見せた。グルジア政府から一連の汚職や拷問、弾圧等による国際指名手配が出ているため、母国へ帰らずそのままウクライナに留まっている。ポロシェンコ政権の諮問機関最高顧問に就任し、エカ・ズグラゼやアデイシヴィリ等自身の盟友を引き連れて反露親米姿勢を強めるウクライナに事実上亡命した形となる。2015年5月30日、ポロシェンコ大統領の協力を得てウクライナ国籍まで取得し、さらにオデッサ州知事にも就任した。オデッサ州は親露派が多く、2015年5月2日にはオデッサにおいて親欧米派と親露派の衝突に端を発した火災により多数の死者が発生する事件が起きている。反露主義の亡命政治家であるサアカシュヴィリの知事就任により、同地域の親露派制圧の意図を示したと見られている。 2016年11月7日にオデッサ州知事を辞任する意を示し、ポロシェンコ大統領は同9日に辞任を受理したが、顧問辞任は却下した。その後、ポロシェンコ大統領との路線対立が激化し、2017年7月26日にポロシェンコの大統領令によりウクライナ国籍を剥奪された。 その後、2017年9月には無国籍という状態ながらもウクライナの国境検問所を強行突破して不法入国し、ユーリア・ティモシェンコ元首相と共にポロシェンコ大統領の辞任を旗印に反政府運動を行っている。12月5日にはポロシェンコ政権打倒のため蜂起を呼びかけたことが国家転覆容疑にあたるとして逮捕されたが、支持者の手により釈放されている。翌6日に犯罪組織参加罪などの罪で起訴され、8日に再び逮捕された。 2018年1月5日、ジョージア(旧グルジア)の首都トビリシの裁判所から、大統領在任中の2009年に殺人罪で服役していた元警官4人に対し違法に恩赦を与えたとして職権乱用罪で懲役4年の実刑判決を言い渡された。2月12日には不法滞在を理由にウクライナの首都キエフにおいて拘束され、その後ポーランドに強制追放された。 2019年5月にウクライナの大統領に就任したウォロディミル・ゼレンスキー大統領により再度ウクライナ国籍を付与され、2020年5月7日にはゼレンスキー大統領により改革執行委員会議長に任命された。
※この「ウクライナへの亡命と追放・反政府運動」の解説は、「ミヘイル・サアカシュヴィリ」の解説の一部です。
「ウクライナへの亡命と追放・反政府運動」を含む「ミヘイル・サアカシュヴィリ」の記事については、「ミヘイル・サアカシュヴィリ」の概要を参照ください。
- ウクライナへの亡命と追放反政府運動のページへのリンク