ウクライナへの編入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 23:17 UTC 版)
「ウクライナ (ミサイル巡洋艦)」の記事における「ウクライナへの編入」の解説
1993年3月18日には、艦の完成度は75 %であった。この時点で、独立ウクライナはこの巡洋艦を自国艦として完成させる計画であった。巡洋艦の所有権争いは最終的にウクライナ海軍に帰属するということで決着し、この日付でロシア海軍を除籍され、10月1日には構成員が解体された。正式にウクライナに所有権の移ることとなった巡洋艦は、ハルィチナー(Галичинаハルィチナー)と改称された。新たな艦名は、西ウクライナの伝統的地域名称に由来している。 しかし、1990年代のウクライナ経済は極めて悪化し、巡洋艦の建造どころではなかった。1998年2月17日には、艦名はその名も将にウクライナと改められた。これは、当時のレオニード・クチマ大統領がウクライナ海軍への編入を公式に決断したためであった。 その後ウクライナ海軍は2001年竣工予定として艤装をすすめていたが、結局竣工はできず、予算不足のため艤装は止まっており、2007年現在95 %の最終艤装状態にて同地に放置されている。2005年9月5日には、ウクライナ政府第385指令により巡洋艦はウクライナ国防省の管理下に入った。
※この「ウクライナへの編入」の解説は、「ウクライナ (ミサイル巡洋艦)」の解説の一部です。
「ウクライナへの編入」を含む「ウクライナ (ミサイル巡洋艦)」の記事については、「ウクライナ (ミサイル巡洋艦)」の概要を参照ください。
- ウクライナへの編入のページへのリンク