ウォルポール家
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3代オーフォード伯・16代クリントン男爵ジョージ・ウォルポール (1730–1791) 先代の息子。彼の死後に休止(dormant)
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ウォルポール家
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第二期の初代オーフォード伯爵となったサー・ロバート・ウォルポールはホイッグ党の政治家であり、第一大蔵卿として20年以上の長期政権を築いた。彼は庶民院議員として庶民院の信任を背景に政権を維持し国王に代わって閣議を主宰していたことから、最初のイギリスの首相と看做されている。そして1742年の第一大蔵卿(首相)辞任に際してグレートブリテン貴族「カウンティ・オヴ・ノーフォークにおけるホートン男爵(Baron of Houghton, in the County of Norfolk)」と「ウォルポール子爵(Viscount Walpole)」および「カウンティ・オヴ・サフォークにおけるオーフォード伯爵(Earl of Orford, in the County of Suffolk)」に叙された。 初代伯が1745年に死去すると、その長男の初代ウォルポール男爵ロバート・ウォルポールが2代伯となった。彼は父親が首相在任中に叙爵を内示されたものの庶民院の議席を失うことを嫌って拝辞した結果、代わって「カウンティ・オヴ・ノーフォークにおけるウォルポールのウォルポール男爵」を与えられていた。 3代伯となったジョージは、2代伯と第15代クリントン女男爵マーガレット・ロール(英語版)の間に生まれた一人息子であった。彼は父親からオーフォード伯爵位やウォルポール男爵位を、母親からクリントン男爵位を相続した。 3代伯が子供のないまま1791年に死去すると、オーフォード伯爵位とウォルポール男爵位は初代伯の三男であるホレーショ(ホレス)が継承した。彼は文筆家・ディレッタントとして名高く、自邸ストロベリー・ヒル・ハウスをゴシック・リヴァイヴァル建築に改築したり、ゴシック小説のはしりとされる『オトラント城奇譚(英語版)』を著し、イギリスにゴシック趣味を流行させたことで知られる。 4代伯にも息子はいなかったため、1797年の彼の死とともにオーフォード伯爵は断絶した。しかしウォルポール男爵位は従弟にあたる第2代ウォルポール男爵ホレーショ・ウォルポールによって相続された。そして1806年に彼に対して連合王国貴族の爵位として「カウンティ・オヴ・サフォークにおけるオーフォード伯爵(Earl of Orford, in the County of Suffolk)」が授けられ、オーフォード伯爵が再興された。初代伯は初代ネルソン子爵ホレーショ・ネルソンの代父を務めており、ネルソンの洗礼名「ホレーショ」は初代伯に由来する。 1809年に初代伯が死去すると長男のホレーショが2代伯、1822年に2代伯が死去すると一人息子のホレーショが3代伯、1858年に3代伯が死去すると長男のホレーショ(英語版)が4代伯となった。4代伯には嫡出の男子がいなかったため、1894年に彼が死去すると爵位は3代伯の次男の一人息子ロバートに継承された。 5代伯は1931年に死去したが、彼は一人息子に早逝されており、オーフォード伯爵はここに再度断絶した。一方で2つのウォルポール男爵位は初代伯の次弟の来孫にあたるロバートによって継承され(9代男爵および7代男爵)、以後2015年現在まで続いている。
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