ウォルポール内閣で
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/23 09:32 UTC 版)
「ジョン・カートレット (第2代グランヴィル伯爵)」の記事における「ウォルポール内閣で」の解説
1721年3月にロバート・ウォルポール政権の南部担当国務大臣に就任すると共に枢密顧問官となる。ウォルポール政権下では外交を担当、ジョージ1世の信任も厚く、1723年夏には国王に随伴して大陸に渡っている。しかしその国王からの信任ぶりと、サンダーランド派として反ウォルポール的だったことから、ウォルポールから危険視された。そのため1724年春には外交上の失態を理由にしてアイルランド総督に左遷された。 アイルランド総督在任中、アイルランド貨幣鋳造権を得たイングランド人ウィリアム・ウッドが「ウッドの半ペンス」と呼ばれた銅貨を大量発行し、これが原因でアイルランド人の抵抗運動が激しくなった。国務大臣時代のカートレットは、ウォルポールへの対抗からアイルランドに融和的だったが、立場上厳しい弾圧をしなければならなくなった。しかし効果は上がらず、アイルランド人の抵抗運動は激しくなる一方だった。結局ウォルポールがウッドの貨幣鋳造権を撤回することを宣言することで事態の収拾を図った。1730年にウォルポールは政権内主導権を一層固めるために反抗的なタウンゼンド子爵を解任、直後にカートレットもアイルランド総督から解任した。
※この「ウォルポール内閣で」の解説は、「ジョン・カートレット (第2代グランヴィル伯爵)」の解説の一部です。
「ウォルポール内閣で」を含む「ジョン・カートレット (第2代グランヴィル伯爵)」の記事については、「ジョン・カートレット (第2代グランヴィル伯爵)」の概要を参照ください。
- ウォルポール内閣でのページへのリンク