ウォルポールの登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 07:44 UTC 版)
責任追及に当たり、政府・王室要人の関与を示す決定的証拠とされる「緑の帳簿」と重要な証人である南海会社会計主任ロバート・ナイトの失踪は衝撃的であった。これらを手放すことは事件の真相を知る手がかりを失うことを意味したからである。ナイト逐電の報に議会は怒気に包まれ、ナイトの捜索が直ちに始められた。ほどなく彼はベルギーで逮捕されたが、なぜかイギリスに送還されることはなかった。ナイトが送還され証言台に立たされれば大臣のみならず王室にまで累が及ぶことは明白であり、国王とその寵妃による外交圧力が送還を防いだのだとまことしやかに噂された。 こうした混乱の中、事態の収拾にあたったのが財政の専門家として名をあげていたロバート・ウォルポールであった。1721年までにはこの南海泡沫事件の事務的な処理方針を確定させ、再び経済も回復軌道に戻った。その一方、政治責任を問われるはずの人々に対しては追及の手を緩め、この事件を煙に巻く形で終わりにさせた。 事後処理と責任追及にあたって、ウォルポールは一貫して収賄者に対して寛大であり、大臣や南海会社理事たちをかばう発言を繰り返した。これは現政権が覆るとトーリー党に政権がわたると考えたためであり、彼自身の将来のためにも厳しい追及はできなかった。この手腕は当時の国王ジョージ1世の大きな信頼を得ることになった。彼はこの後第一大蔵卿として1742年まで政権を担当し、イギリスにおける議院内閣制の基礎を築いていくこととなる。
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