ウェスリー・プルーデン編集長時代(1992年-2008年)
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「ワシントン・タイムズ」の記事における「ウェスリー・プルーデン編集長時代(1992年-2008年)」の解説
ウェスリー・プルーデン(英語版)は、特派員からマネージング・エディターを経て、1991年に編集長に就任した。プルーデンの編集長在任中、同紙は保守的で排外主義的な姿勢を強く打ち出した。 1992年、タイムズ紙の記者で、後に国連世界食糧計画の事務局長となるジョゼット・シーラン(英語版)は、西側のニュースメディアで唯一、北朝鮮の金日成にインタビューを行った。当時、ポスト紙の発行部数80万部に対して、タイムズ紙の発行部数はその8分の1の10万部で、購読者の3分の2は両紙とも購読していた。1994年、全米向けのタブロイド判週刊紙を創刊した。 ジョージ・H・W・ブッシュは大統領在任中、タイムズ紙を始めとする統一教会の活動がアメリカの外交政策の支援のために政治的影響力を持つことを推奨した。1997年、『ワシントン・レポート・オン・ミドル・イースト・アフェアーズ(英語版)』は、タイムズ紙とその姉妹紙『ミドル・イースト・タイムズ』について、イスラム教と中東に関して客観的で有益な報道を行っていると評価する一方で、概してイスラエル寄りの編集方針を批判した。また、これらの新聞は宗教団体が所有しているため、アメリカ国内の親イスラエル圧力団体の影響を受けにくいと指摘した。 2003年、ピューリッツァー賞 ニュース速報写真部門のファイナリストにノミネートされた。 2004年、『ワシントン・ポスト』紙のコラムニスト、デイヴィッド・イグネイシャス(英語版)は、統一教会幹部の郭錠煥がタイムズ紙に対し「国連などの国際組織を支援し、世界平和と宗教間の理解を求める運動をすること」と望んでいると報じた。イグネイシャスは、このことがプルーデン編集長やタイムズ紙の一部のコラムニストに困難をもたらしたとしている。イグネイシャスは、統一教会の北朝鮮に対する融和的な態度(当時は共同事業も行っていた)や、アメリカとイスラム世界との間の理解促進という郭錠煥の主張なども論点に挙げている。イグネイシャスは、連邦議会やジョージ・W・ブッシュ政権の保守派は、郭錠煥よりもプルーデン編集長の方を支持するだろうと予測した。 2006年、文鮮明の息子で、ニューズ・ワールド・コミュニケーションズ社の社長兼CEOの文顕進は、マネージング・エディターのフランシス・クームズを解雇した。クームズは人種差別的な論説を非難されており、また、タイムズの他の従業員から人種差別的、性差別的な発言をしたと訴えられていた。
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