イートン・スクエア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 01:34 UTC 版)
「ベルグレイヴィア」の記事における「イートン・スクエア」の解説
詳細は「イートン・スクエア(英語版)」を参照 イートン・スクエア(英語版)は、ウェストミンスター公爵家・グローヴナー家によって建てられた3つのガーデン・スクエア(緑地広場)の1つである。この名前はグローヴナー家の主な邸宅であるイートン・ホール(英語版)にある、チェシャーのイートン荘園に由来する。イートン・スクエアは地域の中心的なベルグレイヴ・スクエアより大きく、そしてやや質素である。どちらも後述するチェスター・スクエア(英語版)よりは大きく華麗である。最初の区画は、1827年にトーマス・キュービットによって設計された。 イートン・スクエアの住宅はベイ3つ分の大きさがある巨大な建物である。古典的様式の規則正しいテラスが繋がれており、4階もしくは5階建てになっている建物には、屋根裏や地下室、厩舎を改造したアパート (Mews) などが隠されている。このスクエアはロンドン最大のスクエアのひとつで、キングス・ロードから東へ続く、道路としてのイートン・スクエアなどで6つのコンパートメントに分けられている(スローン・スクエアがキングス・ロードの北東端に当たり、そこから東へ続くのがイートン・スクエアである)。イートン・スクエアは地区の主要道路でもあり、現在は交通量も多い。東西に走るこの道路が長軸上を分断し、南北に走る小さな2本の道路がさらにスクエアを分けている。スクエアの住宅はほとんどが白い漆喰壁だが、いくつかの住宅はレンガ壁となっている。 第二次世界大戦前、イートン・スクエアは確かに上流階級の居住地だったが、ロンドン一豊かな人物が居住するメイフェアやベルグレイヴィアの他地区(ベルグレイヴ・スクエア、グローヴナー・スクエア(英語版)、セント・ジェームズ・スクエア(英語版)、パーク・レーン(英語版))ほどの高級住宅街ではなかった。戦後、先述の土地は主に商業施設や学会本部としての利用へ転換されたが、イートン・スクエアはそのほとんどが住居用として維持され、この結果最も高級な住宅街にまで登り詰めた。1950年代の数年間に、85番地から87番地はロンドン・カウンティ・カウンシル(英語版)による女子用収容所として使われ、街角に生活する150人前後の女子がここに宿泊させられた。いくつかの住宅は現在も分割されずに使われているが、スクエアの建物の多くは、グローヴナー・エステート (Grosvenor Estate) によって分割されてフラットやメゾネットとして用いられている。これらの多くは、元々の住宅を1つ以上横断するように側面で分割され、その改修には数百万ポンドがかけられた。スクエアの外装は建設当時そのままに残され、現代調の建物はひとつとして割り込んでいない。スクエアの自由保有権は、そのほとんど全てを現在でもグローヴナー・グループが保有しており、ジェラルド・グローヴナー (第6代ウェストミンスター公爵)はロンドンにおける自身の邸宅をこの一角に置いていた。また彼の先代であるロバート・グローヴナー (第5代ウェストミンスター公爵)(英語版)が1920年代に屋敷を売り払うまでは、公爵家のロンドンでの邸宅は華麗で独立したタウンハウス、グローヴナー・ハウス(英語版)だった。現在建物は取り壊され、パーク・レーンの屋敷跡地にはグローヴナー・ハウス・ホテル(英語版)が建てられている。 スクエアの東端は聖ペトロ教会(英語版)である。イングランド国教会に属するこの教会は古典的様式で建てられた巨大な建物で、6本の柱が付いたイオニア式ポルチコや時計台が有名である。設計はヘンリー・ヘイクウィル(英語版)が行い、建設はイートン・スクエアの最初の改修が行われていた1824年から1827年にかけて行われた。
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