ベルグレイヴ・スクエア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 01:34 UTC 版)
「ベルグレイヴィア」の記事における「ベルグレイヴ・スクエア」の解説
詳細は「ベルグレイヴ・スクエア(英語版)」を参照 ベルグレイヴ・スクエア(英語版)は、19世紀に作られた街区として最大かつ最も壮大なもので、ベルグレイヴィア地区の中心でもある。広場は、地区開発に携わったトーマス・キュービット(英語版)が、当時の第2代グローヴナー伯爵、後の初代ウェストミンスター侯爵ロバート・グローヴナーの依頼を受け、1820年代に建設したものである。周辺の邸宅は、ほとんどが1840年までに入居者で占められた。 元々の計画では、4つのテラスに、それぞれ白い漆喰壁の家が11軒、南西のテラスにだけ12軒並ぶというデザインだった。また私有のセントラル・ガーデンが付いた独立した邸宅が3つの角に作られた。番地のナンバリングは、北から反時計回りに行われる。北西のテラスには1番地から11番地、西角の邸宅には12番地、南西のテラスには13番地から23番地、南角の邸宅には24番地、南東のテラスには25番地から36番地、東角の邸宅には37番地、北東のテラスには38番地から48番地が割り当てられている。最初の建築にやや遅れを取る形で、北側の角に独立した邸宅が建てられ、これに49番地が割り当てられた。これは、1851年にキュービットがシドニー・ハーバートのために建てたものである。テラスは@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}ジョージ・バーセヴィ[訳語疑問点] (George Basevi) によってデザインされた。四つ角に建てられた邸宅の中で最大の、東角にあるシーフォード・ハウス(英語版)は、フィリップ・ハードウィック(英語版)によってデザインされ、西角にある邸宅はロバート・スマーク(英語版)によって設計された。この四角い街区には、クリストファー・コロンブスやシモン・ボリバル、ホセ・デ・サン=マルティン、エンリケ航海王子、初代ウェストミンスター侯爵の像や、建築家ジョージ・バーセヴィ[訳語疑問点]の胸像、さらにイタリア出身の彫刻師・エンツォ・プラツォッタ(英語版)による彫刻 "Homage to Leonardo, the Vitruvian Man" などが設置されている。
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