ウィルトン・クレセント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 01:34 UTC 版)
「ベルグレイヴィア」の記事における「ウィルトン・クレセント」の解説
詳細は「ウィルトン・クレセント(英語版)」を参照 ウィルトン・クレセント(英語版)は、ベルグレイヴ・スクエアの北西にある三日月状の通りである。ベルグレイヴィア開発を目的とし1821年に作られたワイアット計画(英: The original 1821 Wyatt plan for Belgravia)に基づいて、グローヴナー家の地所測量士・トーマス・カンディ2世 (Thomas Cundy II) によって作られた。この名前は初代ウェストミンスター侯爵の次男、第2代ウィルトン伯爵に因んで付けられた。また通りは1825年に、ウィリアム・ハワード・セス=スミス(英: William Howard Seth-Smith)によって作られた。 19世紀から20世紀にかけて、この場所は英国の高位な警察官、大使、公務員の住宅として用いられていた。ヴィクトリア女王の曾孫に当たる、初代マウントバッテン・オブ・ビルマ伯爵ルイス・マウントバッテンは、長年ウィルトン・クレセント2番地に居住していた。今日ではこの場所に、彼の家だったことを示すブルー・プラークが設置されている。ベルグレイヴィアの他地区同様、ウィルトン・クレセントも白い壁の住宅に付けられたグランド・テラスが特徴である。また住宅は通りに沿って三日月状に作られ、通りのほとんど、特にクレセント南側には漆喰壁のバルコニーが付けられている。クレセント北側の住宅は石造りで覆われた5階建ての建物だが、これらは1908年から1912年の間に表層修理されている。住宅の大半は元々漆喰壁で作られたものだが、改装工事が行われた期間に、いくつかの住宅は石造りの壁に変更された。他の家には黒い鉄製のバルコニーが付けられている。 この通りには、ルクセンブルク・シンガポールが大使館を置いている。 ウィルトン・クレセントはラウンズ・スクエア(英語版)ならびにラウンズ・ストリートの東に位置し、ベルグレイヴ・スクエアの北西に当たる。またウィルトン・プレイス(英語版)を抜けて、ナイツブリッジの主要道路に出ることができる。また東側ではベルギー大使館があるグローヴナー・クレセントに隣接している。さらに東側にはバッキンガム宮殿がある。 ジョージ・バーナード・ショーによる戯曲『バーバラ少佐(英語版)』では、レディ・ブリトマート(英: Lady Britomart)の自宅としてウィルトン・クレセントが登場する。2007年には、ロンドン庭園協会(英: The London Gardens Society)によって、クレセントの中腹部にあるウィルトン・ガーデンに銅メダルが与えられた。
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