インドアでの経歴
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小学校3年からスポーツ少年団に入りバレーボールを始めた。1996年、宮城県古川商業高等学校(現古川学園高校)2年生のとき、第27回春の高校バレー(通称"春高バレー"、高校野球の"甲子園大会"に匹敵する)でエースアタッカーとして活躍し、全国優勝を果たした。翌1997年、3年生のとき主将を務めた。古川商業の4歳(4学年)下の後輩に、双子の姉妹「西堀ツインズ」として全国にその名を知られた"西堀姉妹"の西堀健実(たけみ)と西堀育実がいて、1999年、高校女子バレーボールの"3大大会"ある春高バレー、インターハイ、国体で完全優勝を果たし、古川商業が"三冠王"になっている。 高校卒業後は小田急ジュノーに入社しアタッカーとして活躍。1999年、チームの廃部に伴いJTマーヴェラスへ移籍。JTではV1リーグ降格、再昇格を経験。熊前知加子加入後の2004年、身長が低かったためアタッカー(スパイカー)ではなく守備の要であるリベロになった。 2005年、第11回Vリーグで、JT初のベスト4進出を果たし、全日本代表に初選出された。リベロで出場したが選手の怪我などによる戦線離脱でレフトが不足となり、のちスパイーカーとして出場した。 全日本デビューとなった2005年ワールドグランプリでは、攻撃・守備の両面で活躍した。可憐な容姿に注目が集まり、「かおる姫」のニックネームがついた。全日本チームで"人気No.1のアイドル選手"となり、写真集も発売された。 翌2006年、世界選手権に出場。 2008年5月31日、JTを退社。9月、第6回パーカッシオ美脚大賞スポーツ部門受賞。
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