イモ欽トリオ時代とは? わかりやすく解説

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イモ欽トリオ時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 16:37 UTC 版)

長江健次」の記事における「イモ欽トリオ時代」の解説

高校在学中素人番組出演出来た人脈の伝でフジテレビバラエティ番組欽ドン!良い子悪い子普通の子』の出演者オーディションを受けることになる。大阪での選抜オーディションには合格したが、東京での本選では落選した(このオーディションでフツオ役に山口良一ヨシオ役に西山浩司決定長江受けたワルオ役に適任者がおらず、空席のままであった))。オーディション終了後帰り大阪行き新幹線がもう無くフジテレビ局内始発まで時間遣り過ごしていた長江をたまたまスタッフ見かけ萩本欽一伝えたところ、ワルオ役のオーディション時とは違うあまりにも通過ぎる普通な長江風体本が目を留めた。本はインスピレーション感じ「フツオ役」を演じさせてみたところ見事に嵌り、その場一転して合格」を言い渡され「フツオ役」を与えられた。後日配役変更となり、西山ワルオ役、山口ヨシオ役に廻された。 1981年4月6日、『欽ドン!良い子悪い子普通の子放送開始に伴い、フツオ役でデビュー第1回放送本の頭を叩いて笑いを取るが、収録後に「最初からエスカレートさせると、ハードル上がって笑いを取るのが難しくなる」「フツオ(普通の子)は親の頭を叩かない」と本から説教されその後全て本の指示通り演じていたという。 コーナー本とのやり取りの後、居間から出る時の決めゼリフだった「…な!!」が流行し一躍ブレイク街中声を掛けられるなど人気者になった松田聖子ファン公言したことで、松田聖子ファンから反感を買い学校登下校待ち伏せされたこともあったというが、知人たちがシャットアウトしてくれたため危害を受けることはなかった。 共演したヨシオ役の山口ワルオ役の西山と「イモ欽トリオ」を結成した瞬く間人気ユニットとなり、1981年8月5日リリースしたシングルハイスクールララバイ」(同曲には前述の「…な!!」のセリフ入っている)が150万枚売り上げ1981年度オリコンチャートでも4位を記録する大ヒットとなった。 しかし大学受験等を理由東京での仕事減らし1982年9月27日放送をもって番組降板し、同時にイモ欽トリオ脱退した。ただ本当理由大学受験でなく、毎日放送からの要請であったことを後に明かしている。

※この「イモ欽トリオ時代」の解説は、「長江健次」の解説の一部です。
「イモ欽トリオ時代」を含む「長江健次」の記事については、「長江健次」の概要を参照ください。

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