イモ欽トリオ時代
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高校在学中、素人番組の出演で出来た人脈の伝でフジテレビのバラエティ番組『欽ドン!良い子悪い子普通の子』の出演者オーディションを受けることになる。大阪での選抜オーディションには合格したが、東京での本選では落選した(このオーディションでフツオ役に山口良一、ヨシオ役に西山浩司が決定。長江の受けたワルオ役に適任者がおらず、空席のままであった))。オーディション終了後、帰りの大阪行きの新幹線がもう無く、フジテレビ局内で始発まで時間を遣り過ごしていた長江をたまたまスタッフが見かけて萩本欽一に伝えたところ、ワルオ役のオーディション時とは違うあまりにも普通過ぎる普通な長江の風体に萩本が目を留めた。萩本はインスピレーションを感じ「フツオ役」を演じさせてみたところ、見事に嵌り、その場で一転して「合格」を言い渡され「フツオ役」を与えられた。後日、配役が変更となり、西山がワルオ役、山口がヨシオ役に廻された。 1981年4月6日、『欽ドン!良い子悪い子普通の子』放送開始に伴い、フツオ役でデビュー。第1回放送で萩本の頭を叩いて笑いを取るが、収録後に「最初からエスカレートさせると、ハードルが上がって笑いを取るのが難しくなる」「フツオ(普通の子)は親の頭を叩かない」と萩本から説教され、その後は全て萩本の指示通りに演じていたという。 コーナーで萩本とのやり取りの後、居間から出る時の決めゼリフだった「…な!!」が流行し、一躍ブレイク。街中で声を掛けられるなど人気者になった。松田聖子のファンを公言したことで、松田聖子のファンから反感を買い学校の登下校で待ち伏せされたこともあったというが、知人たちがシャットアウトしてくれたため危害を受けることはなかった。 共演したヨシオ役の山口、ワルオ役の西山と「イモ欽トリオ」を結成した。瞬く間に人気ユニットとなり、1981年8月5日にリリースしたシングル「ハイスクールララバイ」(同曲には前述の「…な!!」のセリフが入っている)が150万枚を売り上げ、1981年度オリコンチャートでも4位を記録する大ヒットとなった。 しかし大学受験等を理由に東京での仕事を減らし、1982年9月27日放送分をもって番組を降板し、同時にイモ欽トリオを脱退した。ただ本当の理由は大学受験でなく、毎日放送からの要請であったことを後に明かしている。
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