イタリア風ソネット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 03:15 UTC 版)
イタリア風ソネット(Italian sonnet)またはペトラルカ風ソネット(Petrarchan sonnet)は、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の回りに集ったシチリア派(en:Sicilian School)のジャコモ・ダ・レンティーニ(en:Giacomo da Lentini)とEtterによって発明された。グイットーネ・ダレッツォ(en:Guittone d'Arezzo)がそれを再発見し、トスカーナに持ち込んだ。グイットーネはトスカーナの言葉に合わせて変え、新シチリア派(1235年 - 1294年)を設立した。グイットーネはおよそ300篇のソネットを書いた。当時のイタリアの詩人では他に、ダンテ・アリギエーリ(1265年 - 1321年)、グイード・カヴァルカンティ(1255年頃 - 1300年)がソネットを書いた。しかし初期のソネット詩人で最も有名な人物はペトラルカである。 イタリア風ソネットは2つの部分から成り立っている。前半部は八行連(2つの四行連)で問いを提起する。それに続く後半部は六行連(2つの三行連)で、答えを与える。典型的に、九行目は、問題提起から解答への移行を示す「ターン(volta)」となる。問題提起/解答の構造に厳格に従わないソネットでさえ、九行目は詩の口調、雰囲気、立場の移行を示す「ターン」であることが多い。 ジャコモ・ダ・レンティーニのソネットでは、八行連の押韻構成は「a-b-a-b, a-b-a-b」だったが、後には「a-b-b-a, a-b-b-a」となり、それがイタリア風ソネットの標準となった。六行連には、「c-d-e-c-d-e」か「c-d-c-c-d-c」の二つがあって、やがて、「c-d-c-d-c-d」という変化形も採用された。 英語詩のソネットを最初に書いたのは、サー・トマス・ワイアットとサリー伯ヘンリー・ハワードで、イタリアの押韻構成を用いた。同様にイタリア風ソネットを書いた詩人たちには、ジョン・ミルトン、トマス・グレイ、ウィリアム・ワーズワース、エリザベス・バレット・ブラウニングらがいる。18世紀初期のアメリカ合衆国の詩人エドナ・セント・ヴィンセント・ミレイもイタリア風ソネットを多く書いた。 When I consider how my light is spent (a) Ere half my days, in this dark world and wide, (b) And that one talent which death to hide, (b) Lodged with me useless, though my soul more bent (a) To serve therewith my Maker, and present (a) My true account, lest he returning chide; (b) "Doth God exact day-labor, light denied?" (b) I fondly ask; but Patience to prevent (a) That murmur, soon replies, "God doth not need (c) Either man's work or his own gifts; who best (d) Bear his mile yoke, they serve him best. His state (e) Is Kingly. Thousands at his bidding speed (c) And post o'er land and ocean without rest; (d) They also serve who only stand and wait." (e) -- ジョン・ミルトン『On His Blindness』
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