アルマデン
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アルマデン(Almadén, スペイン語発音: [almaˈðen])は、スペイン・カスティーリャ=ラ・マンチャ州シウダー・レアル県のムニシピオ(基礎自治体)。コマルカ(郡)としてはアルマデンの構成自治体のひとつである。標高は589mであり、首都マドリードから約300km南に位置する。2015年の人口は5,794人。アルマデンという名称はアラビア語のالمعدن(al-maʻdin, 「鉱山」)に由来する。
- ^ Egon Caesar Corti, translated by Brian and Beatrix Lunn (1928). The Reign of the House of Rothschild (hardcover) (1st ed.). New York: Cosmopolitian Book Corporation. pp. 110–112,150.
- 1 アルマデンとは
- 2 アルマデンの概要
- 3 文献
アルマデン
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「水銀の遺産アルマデンとイドリヤ」の記事における「アルマデン」の解説
アルマデンはスペインのカスティーリャ=ラ・マンチャ州シウダ・レアル県にある鉱山町である。その水銀生産は古代ローマ時代にまで遡り、ローマに辰砂を供給していたという記録もあるが、16世紀以前の詳しい鉱山開発については未詳であるという。1511年から1524年までは国王会計のもと、個人との開発契約を結ぶ形で開発が行われたが、1524年にスペイン王カルロス1世が債権者であるフッガー家に開発権を譲渡した。途中、アウクスブルクの別の金融業者に開発権が渡ったり、フッガー家が再経営に乗り出した後に火災で一時閉山されるなどもあったが、1563年からスペイン政府は再びフッガー家と契約を結んだ。このときに付けられた条件は、産出される水銀をすべてヌエバ・エスパーニャ副王領に送付することであった。 17世紀初頭にはアルマデンの水銀生産量は大きく増えたが、1620年代になると早くも減少し、スペイン政府は1645年から国王会計による直接経営を導入し、1661年には契約制度に戻すなど開発体制を二転三転させて対応したが、最盛期に比べて17世紀後半の生産量は半減した。しかし、18世紀になると生産量が再び急増し、衰退の一途を辿っていたウアンカベリカ水銀鉱山をカバーするために、一部がイドリア産ともどもペルー副王領にも送られた。 アルマデンの水銀鉱山では、スペイン帝国が終焉を迎えたのちも採掘が行われており、20世紀末には国有企業によって採掘されていたが、年間1500トンを生産する世界最大の水銀生産地であると同時に、約4トンが大気中に放出される汚染源になっていたという問題点も抱えており、生産規模を縮小しつつ、2004年に完全に操業が停止された。なお、閉鎖後、EU域内での規制強化の結果、各企業などで使用されないまま残された水銀の保管場所としてアルマデンの鉱山を利用する案が浮上したが、見送られた。アルマデンが約2000年間に世界に供給した水銀の量は、全体量の約3分の1に及んだと見積もられている。 アルマデンでは、以下の物件が世界遺産を構成している。
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