アルバムと論争
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「ブラインド・フェイス」の記事における「アルバムと論争」の解説
1969年7月に、アルバム『スーパー・ジャイアンツ』はリリースされ、イギリス及びアメリカでチャート1位となった。アメリカではBlack Albumsでも40位を記録し、これはイギリスのロックバンドにとっては見事な離れ業であった。発売から1か月で50万枚を売り上げ、アトランティック・レコード(アメリカではアトコ)及びクラプトンとベイカーに巨額の利益をもたらした。本作の売れ行きは、クリームのアルバムの売り上げにもつながり、こちらもアメリカではアトコの配給であった。 本作のリリースは論争を引き起こした。アルバムジャケットの写真がトップレスの少女であったためである。少女は銀色の宇宙船を手に持ち、これはロイヤル・カレッジ・オブ・アートの宝石職人、ミック・ミリガンがデザインした物であった。この宇宙船は男性器を象徴した物と見なされた。アメリカではイギリス盤の内側に使われたバンドの写真を使ったジャケットを採用した。また、イギリスでも別バージョン、薄いラミネートカバーのついたジャケットが作成された。別バージョンのレコード番号はオリジナル盤と同じであるが、末尾に「B」が付け加えられた(583 059B)。 カバーアートはクラプトンの個人的な友人で、以前のフラットでの同居人であった写真家のボブ・サイデマンによるものであった。サイデマンはジャニス・ジョプリンやグレイトフル・デッドの写真でよく知られていた。バンドと少女の関係に関する噂は論争をあおることとなった。噂の中には、彼女はベイカーの隠し子であり、バンドのグルーピーで奴隷のように扱われていたというものもあった。実際は彼女はロンドン郊外に居住しており、両親の同意の上でモデルになったのであった。これはサイデマンのジャケットに関する随筆で説明されている。 ジャケットにはタイトルもバンド名も表示が無く、包装紙のみが買い手に対して誰のアルバムかを説明していた。本作は当初いくつかの国で発売禁止になったが、オリジナルのアートワークは人気が高くコレクターズアイテムとなった。1970年代後半になるとRSOレーベルから世界的に発売されることとなった。1980年代半ばにはモービル・フィデリティ・サウンド・ラボからアナログ盤およびゴールドCDのリマスター盤が発売された。2000年には2枚組デラックス・エディションがポリドールから発売され、別バージョン、アウトテイク、スタジオリハーサルが収録された。
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