アメリカ海軍調査研究所 (NRL)
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「ナンシー・ローマン」の記事における「アメリカ海軍調査研究所 (NRL)」の解説
シカゴ大学を去った後、ローマンはアメリカ海軍調査研究所に行き、1954年に電波天文学のプログラムに参加した。当時、電波天文学は米国では非常に若い分野であり、NRLは1951年に研究棟の上に50フィートのパラボラアンテナからなる当時最大級の高精度電波望遠鏡を建設するなど、早くから先陣を切っていた。NRLでのローマの研究には、電波天文学、測地学、さらには水中での音の伝播などまで含まれていた。彼女はNRLに3年間在籍し、電波天文学プログラムのマイクロ波分光部門の責任者にまで上り詰めた。NRLでは、古典的天文学のバックグラウンドを持つ数少ない電波天文学者の1人として、彼女はさまざまなトピックについて相談を受けた。NRLに在籍していた際、彼女はヴァンガード計画の衛星プログラムに天文学のコンサルテーションを行ったが、後に彼女を宇宙天文学の世界に誘ったロケット計画に正式には携わっていなかった。当時、彼女は宇宙天文学の可能性を見出していたが、ロケット計画で行われている科学の質が低いことを懸念していた。 電波天文学の分野では、周波数440 MHzの電波で天の川銀河の大部分のマッピングを行い、非熱的な電波放射のスペクトルブレークを測定した。また、波長10 cm (2.86 GHz) の電波を用いて月までの距離の計算を改善したレーダー測距など、測地学の分野でも電波天文学を利用した先駆的研究を行っている。ローマンは、1959年の測地学会議で、地球の質量を決定する最良の方法としてこれを発表した。 NRL在籍中の1956年、ローマンは当時ソビエト連邦に属していたアルメニアのビュラカン天文台の落成式で、恒星の研究についての講演依頼の招待を受けた。これにより彼女の国際的な評価はさらに高まった。そして、冷戦が始まってから初めてアルメニアを訪問した民間人として、彼女のアメリカ国内での知名度も高まり、一連の天文学講演会が開かれるようになった。彼女の評判は、新たに設立されたアメリカ航空宇宙局 (NASA) の関係者を含めて、確立されたものとなった。
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