距離の計算
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 07:41 UTC 版)
「魏志倭人伝」の距離(里数)が大雑把に約5倍に誇張されているように見えるという問題については、後述するように短里が使用されていたとする説、当時は兵力などを10倍に誇大に記載する例があったことから、公孫氏を討伐する魏軍が帯方郡を接収した当時の軍事報告に基づいたためという説、魏が呉を地理上挟み撃ちにできるとして威圧する目的で、実際より南の呉の近くにあるように見せかけるため書き換えたという説、曹爽の功績である西域の「親魏大月氏王」の距離と、曹爽の政敵の司馬懿の功績である東夷の親魏倭王の距離の東西のバランスをとるため誇張したという説、などがある。 宮崎康平は、道程に関して「古代の海岸線は現代とは異なることを想起しなければならない」と指摘し、現在の海岸線で議論を行っていた当時の学会に一石を投じた。しかし、古代の海岸線を元に考察しても、連続説あるいは放射説の根本部分に大きな影響を与えるほどの学説ではないことから現在ではこの点は課題ではないとされている。 また「自郡至女王國萬二千餘里」の記述は、行程に関する重要な一文であるにも関わらず、多くの説において無視されていると見受けられる。
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