アミューズ時代
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1977年(昭和52年)、独立し、ナベプロからアミューズを設立。代表取締役社長就任(1981年に社長を山本久に譲り代表取締役会長就任)。 独立後、最初に手がけたのは、スペクトラムの前身である「ホーン・スペクトラム」と原田真二であった。バーニングプロダクション社長の周防郁雄は、原田から「自分のための会社を作って欲しい」と言われたため、バーニングとは別の会社を作ることにし、面識のあった大里と話し合って、50対50の出資で会社を作ることになり、それがアミューズだと話している。 独立後の1978年(昭和53年)4月4日に行われたキャンディーズ解散コンサートでは、総合演出も務めた。なお、キャンディーズのメンバーから、解散の意思を最初に伝えられたのは、2代目マネージャーの大里であった。大里は自身の渡辺プロ退社が既に決まっていたことと、周囲に与える衝撃が大き過ぎるとの判断から、「今の話は俺の胸にしまっておくから、これからのことはおいおい話し合おう」と言ってその場を収め、大里は渡辺プロを退社するまで誰にもメンバーが解散の意思を持っていることを知らせなかった。 原田の退社後、当時フォークソング全盛期のサザンオールスターズを始め、新興のロックバンドを次々と抜擢し話題を呼び、後のJポップ時代全盛の礎を築いた。また、嘉門達夫をスカウトした人物でもある。 また、スーパー・エキセントリック・シアター(SET)のプロモートや、自社制作映画も多数製作するなど、演劇面でも大胆な若手俳優・女優起用を断行し、話題を呼んだ。 タレントを育て上げ、アミューズを一代で大手芸能事務所にまでに成長させた。 還暦を迎えた2006年に自己の保有する株式の一部を所属タレントや、従業員に贈与し、話題になった。 2008年4月に行なわれた「全国キャンディーズ連盟 2008大同窓会」では演出・構成を担当。この宣伝を兼ね、『福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオ』にゲスト出演した。同年6月22日、アミューズ代表取締役会長を退き、相談役名誉会長に就任。2011年に再び代表取締役会長となる。 2012年、第7回渡辺晋賞を受賞。 2021年、アミューズが出資するCo-LaVoの相談役として参加。
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